インタビューPR
迫力あるキャラクターを描くには?漫画家・霜月かいり先生インタビュー

今回インタビューにご登場いただくのは、青森出身で現在も青森在住の漫画家、霜月かいり先生です。
霜月かいり先生は、2000年に小説誌でイラストレーターとしてデビュー。同誌の編集部に声をかけられたことから本格的に漫画を描きはじめ、現在は『コミックジーン』で「BRAVE10 S」、『電撃マ王』で「DEATH EDGE」、『月刊ARIA』で「すべてがFになる」、『WINGS』で「JOKER REBOOT」を連載中の人気漫画家です。
また、ワコムキャンペーンサイト「塗りコン」へも参加されています。
これまでの活動、オリジナル作品と原作付き作品を描く際の違い、アナログとデジタルを併用する制作環境、美麗な絵の描き方や上達に必要なことは?など、興味深いお話が満載のインタビューとなりました!それではご覧ください。
霜月かいり先生は、2000年に小説誌でイラストレーターとしてデビュー。同誌の編集部に声をかけられたことから本格的に漫画を描きはじめ、現在は『コミックジーン』で「BRAVE10 S」、『電撃マ王』で「DEATH EDGE」、『月刊ARIA』で「すべてがFになる」、『WINGS』で「JOKER REBOOT」を連載中の人気漫画家です。
また、ワコムキャンペーンサイト「塗りコン」へも参加されています。
これまでの活動、オリジナル作品と原作付き作品を描く際の違い、アナログとデジタルを併用する制作環境、美麗な絵の描き方や上達に必要なことは?など、興味深いお話が満載のインタビューとなりました!それではご覧ください。
高校の美術部での経験で価値観が変わった
──霜月先生が漫画家をめざした経緯から教えて下さい。子どもの頃はどんな作品がお好きでしたか?
小中学校のころは、天野喜孝先生、山田章博先生、いのまたむつみ先生の作品です。これこそが私の最上級、って思ってました。描き方のハウツー本が出てたので、それを買って塗り方を真似してみたり。でも同じような色が出ないんですよね。
あと、菊地秀行先生の『吸血鬼ハンターD』が大好きすぎて、そこからバンパイアものの映画を見るようになり、吸血鬼やゴシックホラーにどんどんとハマっていきました。
あと、菊地秀行先生の『吸血鬼ハンターD』が大好きすぎて、そこからバンパイアものの映画を見るようになり、吸血鬼やゴシックホラーにどんどんとハマっていきました。
──のちに『誘い 百年の恋』で吸血鬼をメインキャラにしたり、菊地秀行先生原作の『魔界医師メフィスト』を連載したのは、そのころに培われたものだったんですね。
そうですね。
高校では美術部に入って、価値観や世界観が変わることがありました。
美術の先生に「もっと色々見たほうがいい」というアドバイスをいただき、クリムト、ビアズリー、ミュシャ、浮世絵の北斎などに触れたんです。
すると現代の作家さんもそうした昔の美術に影響を受けてることがわかってきて。
だったらそっちを勉強してみようって、本格的に古典というかアール・ヌーヴォー時代の絵を見るようになりました。それで次第にこういうものが美しいって感覚にシフトチェンジしていったんです。
高校では美術部に入って、価値観や世界観が変わることがありました。
美術の先生に「もっと色々見たほうがいい」というアドバイスをいただき、クリムト、ビアズリー、ミュシャ、浮世絵の北斎などに触れたんです。
すると現代の作家さんもそうした昔の美術に影響を受けてることがわかってきて。
だったらそっちを勉強してみようって、本格的に古典というかアール・ヌーヴォー時代の絵を見るようになりました。それで次第にこういうものが美しいって感覚にシフトチェンジしていったんです。
──「こういうもの」とは具体的に何でしょう?
人間そのものの美しさ、でしょうか。
例えば音楽のPVなどを見ると、かなり際どい角度からアーティストを撮っていますよね。「体のパーツのここだけでセクシー!」とか。
漫画のキャラクターや設定が好き、という感覚から、手や足・筋肉といった「人間の身体そのもの」が美しいんだと認識が変わりました。それをきっかけに現在の作風になったと思います。
例えば音楽のPVなどを見ると、かなり際どい角度からアーティストを撮っていますよね。「体のパーツのここだけでセクシー!」とか。
漫画のキャラクターや設定が好き、という感覚から、手や足・筋肉といった「人間の身体そのもの」が美しいんだと認識が変わりました。それをきっかけに現在の作風になったと思います。
最初はイラストレーターになりたかった
──そこからプロになる経緯は?
最初は、漠然と、イラストレーターになりたかったんです。でもお金がなくてスクリーントーンさえ買えなかった(笑)。
そういう時に手にとった雑誌でイラストコンテストをやってて、入賞の賞品がトーンだったんですね。それで応募したら佳作に選ばれて、トーンが何枚かもらえたんです。
それをきっかけに、どんどんコンテストに作品を出すようにしたら、投稿雑誌で大賞をいただけたり、イラスト大賞で入選して、お声をかけていただくようになった……っていうのが始まりですね。
そういう時に手にとった雑誌でイラストコンテストをやってて、入賞の賞品がトーンだったんですね。それで応募したら佳作に選ばれて、トーンが何枚かもらえたんです。
それをきっかけに、どんどんコンテストに作品を出すようにしたら、投稿雑誌で大賞をいただけたり、イラスト大賞で入選して、お声をかけていただくようになった……っていうのが始まりですね。
──トーンがもらえるからというのが面白いですね(笑)。商業デビューは『小説エクリプス』(桜桃書房)の小説イラストですか?(2000年4月号)
はい、あと半年くらい読者ページのカットを担当させていただきました。そしたら漫画のほうでたまたま欠員が出て。描く人がいないから漫画描きませんかって言われて「描きます!」って。それが漫画家としてのデビューになりました(2000年12月号「Cloudy Heart」)。
作品投稿を本格的に始めるときに、自分の中で「1年半の間に、イラストで賞を獲るとか結果が出せなければこの道は諦める」と決めていたので、それがあったから、いまこの世界にいる感じです。
作品投稿を本格的に始めるときに、自分の中で「1年半の間に、イラストで賞を獲るとか結果が出せなければこの道は諦める」と決めていたので、それがあったから、いまこの世界にいる感じです。
──ちなみに「霜月かいり」のペンネームの由来は?
11月生まれなので「霜月」なのと、『ジャンプ』に昔投稿した時に……落ちたんですけど……(笑)イラストに「ガイリ」ってキャラを出したんです。
それで名前を決める時に「ガイリ」にしようとして、でも「ガ」だと強そうだから「か」にしました。
それで名前を決める時に「ガイリ」にしようとして、でも「ガ」だと強そうだから「か」にしました。
描いた後に原作ゲーム発売。慌ててセリフを直した『戦国BASARA』
▲『戦国BASARA 乱・世・乱・舞』1巻。
──ゲームのコミカライズの仕事『戦国BASARA 乱・世・乱・舞』(2005年7月から季刊『コミック戦国マガジン』で連載)は、霜月先生が『BRAVE 10』などの青年向け作品に進む一つの転機になったのでは?と思います。
そうですね、通らないだろうと思ったコンペを通って連載が決まり、最初はゲームのデモ画面を見せていただいて。そこから連載を始めさせていただいたのですが、『戦国BASARA 乱・世・乱・舞』で初めて戦国時代の文化に触れたので、色々おかしなことになっていたのではないかと……。
その後に『BRAVE 10』のお話をいただいたので、まさに転機となった作品ですね。
その後に『BRAVE 10』のお話をいただいたので、まさに転機となった作品ですね。
──『魔界医師メフィスト』(原作=菊地秀行)、『すべてがFになる』(原作=森博嗣)、『JOKER REBOOT』(原作=麻城ゆう+道原かつみ)など、近年はまた原作つきの作品が増えていますね。原作があると絵に集中できて少し楽なのかな?と外野からは思ってしまうんですが……。
いえいえ、全然です。小説から絵に起こすというのはかなり大変な作業でして、特に『F』は情報量が多いので大変でした。プロット、ネームを経て漫画にしていくので、オリジナル作品と同じように描いています。
原作には原作のイメージがある。でも焼き直すだけだとただ描き直してるだけになってしまうし、そうじゃない何かを作るにはどうすればいいのか?ってバランスで悩んでます。原作を表現することが一番大事なので、そこにうまく自分らしさをプラスするのはすごく難しい作業ですね。
原作には原作のイメージがある。でも焼き直すだけだとただ描き直してるだけになってしまうし、そうじゃない何かを作るにはどうすればいいのか?ってバランスで悩んでます。原作を表現することが一番大事なので、そこにうまく自分らしさをプラスするのはすごく難しい作業ですね。