「リアリティがない=共感できない」創作に求められるリアリティとは?/カレー沢薫の創作相談

創作のリアリティ、どこまで求められる?
そもそもフィクションというのはリアルでは起こらないことを楽しむものです。
むしろクソな現実から目を逸らしたくてフィクションを見ているのに、フィクションでも現実と寸分違わぬクソを見せられても「さっき見たぜ」という感想しか出てきません。
「トラックに轢かれて異世界転生した」という冒頭の一文に対し「トラックに轢かれたら死ぬだろ」と言うのは、もはやツッコむ方が野暮であり、そんな感性で表紙に「異世界」とか「悪役令嬢」とか書かれている本を手に取った方が悪いのです。
このようにフィクションを楽しむには読み手にもある程度「フィクションを楽しむ才能」が必要なので、才能ゼロの人の「リアルじゃない」というツッコミを真に受けていたら「俺の高校生活は転校生や幼馴染、先輩に意味もなく好かれることもなく終わり、便宜上つるんでいた友人とは卒業後すぐ音信不通になった」みたいな話を書くしかありません。
確かにこれ以上なくリアルですし、もしこれに「リアルじゃない」というツッコミがきたら「貴様に俺の高校生活の何がわかる!」とキレ返すこともできます。
ただこれがおもしろいかというとまた別の話です。
つまり創作は多少現実的でなくても、おもしろければそれで良いのです。
逆に言えば「おもしろさを阻害するリアリティのなさ」には問題があり、それはできるだけ無くしていかなければいけません。
ただ求められるリアリティというのはジャンルによって異なります。
異世界ものであれば、トラックに轢かれて転生した主人公がチートスキルで無双しても誰も文句は言いませんし、むしろそうこなくてはですが、「本格ミステリ」と銘打たれた作品で「実は犯人は異世界転生者で遠隔系スキルを使い被害者を殺した」というトリックを披露したら訴訟が起きます。
読者が萎える「リアリティのなさ」とは
ではあなたの書かれている現代ものBLで求められるリアリティとはなんでしょうか。
BLである以上、トロとなるのはやはり恋愛描写であり、18禁であれば性描写が大トロになります。
個人的にはフィクションの性描写はそこまでリアルでなくても良いのではないか思います。
AVだって体がよく見えるよう現実ではあえてやらない無理な体勢で致しているのです。
またアクロバティックになっているのは演者だけではなく撮影陣も同様で、エロく見えるアングルかつ自身が映らない位置と体勢で撮影をしており、引きで見ると「セックス」というよりもはや「マスゲーム」なのです。
現場で見たら非現実すぎて抜くどころの騒ぎではない状況でも、視聴者から見てエロく見えれば作品としては成功だと言えます。
よってもし「BLでよく使われる表現は現実だと全然違う」というのが「BLの性描写はリアリティがない」という意味であればそこまで気にすることはないような気がします。
そもそも男同士の行為は、準備や助っ人アイテム抜きの「思い立ったがセックス!」みたいな勢いでは無理と聞きます。
だからと言って、盛り上がりきった二人が「流石に今すぐには無理だ」と冷静になって一時解散、準備期間とおてんばポーチを携えて再集合みたいな展開が読者に「リアルでいいね!」と思われるかというとそうでもありません。
もちろん「一週間後またここにきてください」と受けに山岡士郎顔をさせてさらに展開をアツくするというのもありですが、回りくどくて脱落してしまう読者も多いでしょう。
好みによるでしょうが、フィクションのエロはリアルを追求するとダイナミズムに欠けてしまうので、多少非現実的でも読者にエロいと思わせる描写を心がけた方が良いのではないでしょうか。
ただし「両手を押さえつけ、胸の飾りを指で弾きながら、下腹部の茂みに手を伸ばした」のように「こいつ腕3本ある?」という人体のリアルを超えたダイナミック表現をすると読者はそっちが気になってしまいます。
勢いは大事ですが、ダイナミズムを追求するあまり「3本生えてないと不可能な動き」までさせると、例え意図的だったとしても、読者は「書き手が描写をミスった」としか感じず若干盛り下がってしまうものです。
つまり読者が萎える「リアリティのなさ」というのは、書き手の文章力や知識、人生経験のなさが透けて見える描写なのです。
設定やキャラも無理しないほうがいい
現代劇であれば登場人物が社会人なこともあるでしょうが、エレベーターでキッスし、夜のオフィスで合致している描写ばかり書くと「こいつらいつ仕事してんだ」と思われます。
かと言って「朝イチで会議」「これから外回り」「今日も接待」みたいな「俺が考えた最強の社会人の一日描写」を繰り返すと「こいつ働いたことないだろ」と作品を超えて作者に苛立ちを覚え、坊主憎けりゃ乗ってる原チャリまで憎いで、作品ともども低評価になってしまいます。
つまり現代劇やオフィスラブなど、自分がつけた設定に対してはある程度リアリティのある表現が求められるのです。
舞台だけではなくキャラに対する設定も同様であり「大企業のCEOで大金持ち」という設定のキャラを出したら、その金持ちっぷりを裏付ける表現が必要になりますが、ここで「家具が無印で統一されている」などと書くと「こいつ中間管理職だろ」と思われてしまいます。
また「頭が良い」という設定のキャラには頭が良い表現が必要になりますが、どう頑張っても作者の自分よりも頭を良くすることはできません。
よって「模試は常に全国トップ」など薄っぺらな表現をして読者を萎えさせるか、頭の良いキャラを頭良く見せるために「そいつ以外全員馬鹿」という日本以外全部沈没状態にするしかなくなります。
当然「馬鹿ばっかり」というのは読者を苛立たせますし、頭が良いキャラも大して良くないということがバレ、結果として、作者の頭がそこまで良くないことまで露呈してしまいます。
よって設定の甘さがトロ部分を邪魔しないように舞台やキャラにつけた設定に関してはそれなりにリアリティを持たせた方が良く、逆に言えば自分に表現できそうにない設定は最初から盛らない方が無難です。
リアリティがないは「共感できない」
また読者がいう「リアリティがない」というのは「現実的ではない」ではなく「共感できない」という意味だったりします。
「リアリティがない」というツッコミを最初から全回避できるのが異世界ものの強みではありますが、だからと言って、全く理解できない文化と倫理観の異世界で、1ミリも共感できない主人公が無双する話を見ても読者は全くスカっとしないのです。
乙女ゲーに「現実味がない」と言う人は「突然こんなに大勢のイケメンに好かれるわけがない」と言っているわけではなく「普通に男どもの態度が悪すぎて初手で切らないヒロインがM豚すぎて共感できない」という意味だったりもします。
一次創作ということで、おそらく自分の作り出したキャラに対し愛着があると思いますが、それゆえに盲目になってしまい自分的には理想のスーパー攻め様でも読者から見れば「こいつに抱かれる受けの気がしれない、俺なら自害する」と思われていることもあります。
「こいつなら抱くし抱かれるわ」と読者に納得させるリアリティのある人物描写に励んでいただければと思います。

こんにちは。初めて相談を送らせていただきます。
創作作品におけるファンタジーさは、どこまでが許容範囲なのでしょうか? また、リアルさは、どの程度まで求められているのでしょうか?
私は一次創作の現代ものBL小説をちまちまと書いています。最近、「BLでよく使われる表現は現実だと全然違う」というような記事を読んで、このようなことを考えてしまいました。
フィクション創作ならば、カプなしも男女も女男もBLも百合も、一次創作も二次創作も、全てファンタジーであって、現実とは違う描写があることは分かっています。ですが一方で、ある程度のリアルさが求められているようにも感じます。現代ものではそれが顕著なのではないでしょうか。創作作品に対して「こんな展開あるか!」と言い始めたらキリがないのもわかっていますが、自分の作品はリアルさが0なんじゃないのか、それで良いのか……?と不安になりました。お答えいただけますと幸いです。