今がこれだけ最高なら過去も未来も最高!「年齢操作」/カレー沢薫のpixivタグ検隊

文/カレー沢薫
今回のpixivタグ検隊のテーマは「年齢操作」である。
操作などというと物騒なイメージだが「キャラクターを原作とは違う年齢で描写すること」である。
例えば、高校生のキャラがいたら、小学生だったときの姿を描いたり、逆に成人後の姿や墓を描いたりするのが「年齢操作」である。
ただし、原作でも描かれた続編としての数年後や、回想である数年前の姿を描くことはこれに当てはまらず、「この年齢設定はパラレルであり、あくまで俺の妄想です」という場合に「年齢操作」タグが使われる
何故年齢操作をするかというと、まず「今がこれだけ最高ということは、一万年と二千年前から最高だし、八千年経ったころからもっと最高になるに違いない」という思いからである。
つまり、原作の年齢や姿も好きだが、別時期の推しも見てみたいから、とりあえず自分で、一万年と二千年前の推しや、八千年経った推しの姿を描いてみるのである。
また、有望株の幼女やショタがいれば「やっぱ成長した姿も見てみたいじゃん」というのもあるし、渋いジジイがいれば、若い頃もさぞかしイケメンだったに違いないと思うものだ。
何が「やっぱ」なのかと聞かれたら困るが、そういう本能を持って生まれたオタクがこの世にはいるのだ。
また「年齢操作」には、キャラクターデザイン的楽しさもある。
二次創作とは言え、原作には描かれていない姿なので見本はない、つまり原作キャラを元に新しいキャラを作るようなものだ。
美ショタを予定通りのイケメンに成長させるのもいいが、Fateのアレキきゅんがイスカンダルになるように「想像と790度違うけど、これはこれであり!」という成長のさせ方もある。
かなりセンスが問われるジャンルだが、それ故に創作の楽しみもある。
だが、タグというのは好きな人向けにあると同時に、苦手な人向けでもあるのだ。
「ショタの成長は悪い文明」
妖怪ウォッチのケータきゅんの成長を見て死んだ、偉大なショタコンの辞世の句である。
私などは、ショタキャラが年齢操作により良さげなイケメンになっているのを見ると「ほう……」となり、そのショタが赤マル要チェックになるのだが、中にはショタはショタなのが良いのであって成長させるなど上等な料理にハチミツをぶちまけるが如き愚行、と感じる人もいるのだ。
ショタはダイヤの原石ではなくダイヤなのだから、無駄に磨いたら傷がついちゃうだろう、ということである。
つまり、原作の姿がベストなため、年齢を変えたりするのは「匠のいらない遊び心」に感じるのだ。そういう人が誤って見ないためにも「年齢操作」タグは存在する。
「メガネっ娘のメガネをはずさせた上『お前メガネじゃないほうが可愛いぜ』などとぬかす輩をブチ殺せ協会」に通じるデリケートな問題だ。
「おまわりさん、ここです」にならないために
また、年齢操作がされるのはイラストなどのビジュアル方面だけではない。
小説などでも「○年後(前)の設定」とか「キャラが不思議な力で幼児化」という年齢操作は行われる。
時にはコンプラ対策のための年齢操作がされる場合もある。
あまり創作でコンプラを厳しく言い過ぎると、せっかくセックスしないと出られない部屋にいるのに、何もせずに餓死するということになってしまうのだが、やはり気になる人は気になるのである。
例えば、推しカプの片方が小学生ということがたまにある。
あってたまるか、と思うかもしれないがフィクションの話なのでご容赦いただきたい。
そして推しカプというのは結婚するものである。
推しカプ創作がいつも片方死ぬか両方死ぬかのバッドエンドかメリバになってしまうという重すぎる十字架を背負ったオタクは別として、多くのオタクの推しカプは結婚して永遠に爆発するものなのだ。
ただそれが落丁のため原作に載っていないだけである。
載ってないなら、自分で推しカプが結婚している話を書くしかあるめえ、となっても片方が小学生だと最初の一文が「おまわりさん、ここです」になってしまう。
よって、創作に国家権力が介入してこないように「数年後」という設定で、案件にならない年齢に操作することも良くある。
また案件対策でなくても、単純に推しカプの数年後を見てみたいというのもあるし、もし推しカプの年齢が逆転したらという話も出来る。
もしくは、スーパー攻め様が突然の幼児化、いつもやられっぱなしの受けはここぞとばかり逆襲にでるが、絶妙のタイミングで元に戻り、その夜キツイおしおきをうけるのであった……という「俺はこれと白米があれば何もいらないね」という話ももちろん作れる。
ともかくキャラクターだけではなくカップリングとしての創作の幅が広がるのが「年齢操作」である。
ちなみに年齢操作というのは、思いついたら早めにやったほうが良い。
長く連載が続いたり、逆に打ち切りになると突然「数年後」となり、キャラの成長した姿が公式で出てしまうということがあるからだ。
もちろん「回想」という体で、昔の姿が出てくることもある。
原作で出て来てしまうと、それと異なる創作というのはやりづらくなってしまうものだ。
年齢操作は思い立ったが吉日、善は急げ、である。


- カレー沢 薫
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1982年生まれ。無職。著作は『クレムリン』(講談社)、『負ける技術』(講談社)、『ブスの本懐』(太田出版)など多数。
趣味はエゴサーチ。