解脱するか数日ROMる「スルースキルの鍛え方について」/いそふらぼん肘樹の場合

文/いそふらぼん肘樹
人の目に触れ、記憶に残る
このテーマをくださった方は、「そもそも炎上案件については下手に触れない方が良い」という真実に辿り着いていることがまず素晴らしい。
オープンな場で文字として何かを記した場合、それは人の目に触れ、人の記憶に残る。
つまり、誰かの記憶に「この人、あの炎上案件のときこんなこと言ってたよなー」と覚えられてしまうのだ。
もし時を経て、あのときはああ言ったけども、考えが変わって今はこう思っている……ということがあったとしても、
他人からすると「あのときそう言ってた!」というところだけしか残らないものだ。
そう思うと、ハナっから何にも言わないでおいた方が賢いのは明らかだ。
私も度々「肘樹さん、あのとき……ああ言ってましたよね!?」とお叱りを受けることがある。
古いオタクゆえに、一つのアカウントを長年使い続けていることこそが自分の魂を貫いている証明……と思っているのだ、
(普通に色んなアカウントを使い分けていいと思います)、
同じアカウントを使い続けているということは、あのときああ言ってたという発言のソースが残りまくっているということである。
そのため定期的に投稿を一掃しリスクマネジメントをしている方もいるだろうが、
私はまあ、そのとき私がそう思っていたのは確かだから、その責任も一応今の私が負うよ……と思っているタイプである。
ただ、自分の10年近く前の発言を引っ張り出してこられると、当時特有のテンションへの羞恥心も相まって厳しいものもあるのだが……。
スルーしたいなら「数日ROMる」
人はなぜ炎上案件について触れてしまうのであろう。
それはやはり、何か言いやすい、口を挟みやすい、批判しやすい極端な意見だからではないだろうか。
こんなこと許せない、酷い、私はそうは思わない……など。
トピックをきっかけに、自分の考えている正しさ、こうするべきという意見を述べたくなってしまう。
とくに世間の反応が明らかにネガティブ寄りである炎上案件であれば、その風潮に乗っかって「良くないよー!」と言えてしまうものだ。
例えば、「◯◯な作品は読みたくない、読む側はみんな迷惑って思ってますよ」という極端な意見がバズっていたとする。
自分自身が作品を作る側で、◯◯な作品のどこが悪い!? 自分も書いてる! と憤慨する。
作品を読むのが好きな立場で、私は迷惑じゃないですよ! こんなこと言う人は相手にしないで! と主張する。
どちらもかなり「ある」ケースではないだろうか。
正直、インターネットを長年やっていると「ま、またこの話題か!?」と思ってしまうくらいに……。
暴言、犯罪、極論、世の倫理観にそぐわぬ発信。話題とはループするものなのだ。
インターネットを続ければ続けるほど、大体の炎上がもう見た! なんか前にも話してなかったそれ!? になっていく。
歳をとると1年があっという間! という現象と何か関連がある気がするが。
つまり、経験の蓄積があれば「またかよ! もう今回は何も言わなくてもいいかも」という選択をすることができるのではないか。
要するに、インターネット話題輪廻からの解脱である。
じゃあ長年ネットにズブズブじゃないとうまくスルーはできないんですか!? と言いたいところだが、
そこは伝家の宝刀「半年ROMれ」を現代適用し「数日ROMる」ことで、ある程度事態の成り行きを見守ることができると思われる。
おおよその炎上案件であれば数日も見守れば企業のリリースがあったり、複数の視点からの情報が出てきたりする。
数日に渡り案件をウォッチするのは完全に炎上ウォッチャーとしての歩みを進めてしまっていると言えなくもないが、
話題に触れる前にちょっと待つ、数日経ってから自分からその話題を思い出せないならそこまでと気持ちが切り替えられるだろう。
話題に触れるとしても振る舞いには気をつけたい
とはいえ、私は「絶対炎上の話題には触らない方がいい!」と思っているわけではない。
そりゃ穏やかなインターネットだけを持続させていく! と言うのであれば触れないが吉だが。
先に言ったように、話題は無限にループで既出乙であることがほとんどだ。
それにも関わらず、どうしても口を挟みたくなってしまう、怒りを覚えてしまうということは自分にとって何か譲れないカテゴリーの話なのではないだろうか。
おんなじカテゴリーの話題についての自分のリアクションが残っていくということは、
自分の心が何を大切だと思っているか? 何に怒っているのか? ということが可視化されることだ。
人からは「この人はこういうことに怒るタイプで、こういう考えを持っている人なんだ」と知ってもらえることにつながる。
それは、インターネットを通して人とコミュニケーションを取りたいと思ったときには、とても価値のあるものではないか。
もちろん、人に見られるからこそ! 話題への触れ方は慎重にすべきだ。
出どころがあやふやなまま「なんか見たけど〜本当だったら最悪!」とか言わない。
もはや怒ることを娯楽・目的にして、自分と同じように怒っている人を探しに行かない。
触れないようにする、と話題の縛りプレイもをするよりも、話題に触れるときの振る舞いに気をつける方が良いのかもしれない。
まあ、慎重にした結果として「もう、全てをスルーする」ということもあるんだろうが。
輪廻から抜け出し、作品や感想、考察だけを淡々と載せる穏やかでスタイリッシュなオタク・アカウントになることへの憧れももちろんあるが、
ある程度は自我と煩悩と怒りのあるアカウントであることも許されたい、ていうかいいじゃんねえと思ってしまうのだ……。