「逆カプの方が多くて自信がなくなる」正しさは数で決まらないし正解などない/カレー沢薫の創作相談

「逆カプの方が多くて解釈に自信がなくなります」
「逆カプ」それは固定カプ者の多くにとって目の上の人面瘡、そして口には出さないものの「どうしてあの原作を見てそうなるのか、目玉が足の裏にでもついてんのか」というセンスを疑う存在です。
しかし、ほとんどの人がそんなことを言っても仕方がないし「見なければいい」とわかっているので、あなたのように、ブロックやワードミュートで自衛に勤め、自らも逆カプの人の視界に入らぬよう、タグや注意書きを怠らないようにしていると思います。
でもそれは戦争を繰り返すことで自然と生まれた密約みたいなもので「カプ表記を怠った者は50万円以下の罰金と3年の禁固」とか「AB固定者に『○○さんのBAも見てみたいです!』とマシュマロを送った奴は無期懲役」と法律で定められているというわけではありません。
よって、こちらは「ニラがレバーを激しく抱いてるやつを下さい」とオーダーしているのに、ちょっと大雑把な店だと「へい! レバニラ一丁!」と、何の悪気もなく逆カプが出て来てしまうことがあります。
なまじ材料が同じなだけに、推しカプを探していて逆カプを目にしてしまうという事故はよく起きるのです。
現実世界でも「知らないおじさん×知らないおばさん」など多数のカップリングがあり、そのほとんどが無関係、口を出す権利は一切ないのですが「これから178回目の無限列車を見に行くぞ」と機嫌よく歩いている時に、向かいから知らない人同士がディープキスしながら歩いてきたら「お前ら正気か」とつい爆散を願ってしまうものです。
公式が答えを出してないならみんな「集団幻覚」
まず「正しさとは数で決まるものではない」ということを胸に和彫りしましょう。
例えば浅草には、某ビール会社の有名なオブジェクトがあります。
それを見た人の99%(当社調べ)が「金のうんこ」と解釈するにも関わらず、正解は「炎」なのです。
原作を見て「これはレバニラ(カプ名)やな……」と思った人の数がどれだけ多かろうが、公式がそう言っていない限りは等しく妄想であり「集団幻覚の規模がデカいだけ」なのです。
つまり、間違っている間違ってない以前に、公式が答えを出してない限りは「正解など存在しない」のです。
仮に推しているのが公式カプでも原作に書かれていない話を書く時点で「(原作と)違う」ということになります。
原作と寸分たがわぬ「正解」を書こうと思ったら、原作を完コピするしかなく、だったら「原作を見ればいい」ということになり「二次創作」としての価値は全くありません。
二次創作というのは「全部間違っている」ものであり全員間違っている中で「俺は間違っているのではないか」と悩むのは、全裸でハチ公前に集合してから「俺の乳首の形おかしくないか」と悩むようなものです。
「全裸でハチ公前集合」の時点でおかしいのです。
二次創作というのは正誤を競うものではなく、幻覚の中で「俺が見ているのは幻覚では?」と疑心暗鬼になっている奴より「幻覚たーのしー!!」となっている奴が勝つ世界です。
逆カプの数が多くて悔しかったら「逆カプなんてありえない」というのではなく、自分がもっと推しカプというシャブでキマるしかありません。
「正しい」と思う狂気は創作へと変える
ただ妄想とわかっていながら、自分の推しカプや解釈に「正しさ」を求めてしまう気持ちはわかります。
そもそも、オタク、特に創作をやっているオタクは「自分の解釈が一番正しい」と思っているぐらいが健全なのではないか、と思います。
己の推しやカプの解釈を他人に委ねている人の方が心配です。
中島みゆきネキも、お前が消えて喜ぶ逆カプの者にお前の解釈を任せるなと熱唱してくれているではありませんか。
「自分の解釈が正しい」と信じる心は大事ですが、それを他人に認めさせたり、公式的にも正しい解釈ということにしたい、と思うのはやめましょう。
それをやろうと思ったら、原作者を監禁して自分の思い通りに書かせるという「ミザリー」をやるしかない、つまり「狂気でしかない」のです。
本来ならそんな狂気は、己の心の内だけに秘めておくべきですが、唯一表に出して良い方法「創作」なのです。
ミザリーに出てきたおばさんも「作者を監禁脅迫して己の思い通りに書かす」ではなく「作者が書かんなら俺が書くわ」と、あの狂気を創作にぶつけていたら、ミザリー界隈で「神字書き」と呼ばれていた可能性は多いにあります。
つくづく、彼女が創作オタでなかったこと、pixivがなかったことが悔やまれます。
しかも、そのまま出したらただの狂気を「創作という狂気」として出すことにより、ドン引きどころか人々に喜ばれ、モンスターや犯罪者ではなく「神」と呼ばれる可能性があるというのは、もはや奇跡としか言いようがありません。
あなたには推しカプに対するなかなかの狂気、創作をするスキルと、奇跡を起こせる材料が揃っています。そのパワーを、自分の感性の否定、そして「逆CPは絶対に作品の物語やキャラクターの解釈的にあり得ない」という逆カプへの攻撃性に使っているというのは「MOTTAINAI!」とケニアのワンガリさんが泡を吹いて死ぬレベルの浪費です。
少なくとも、あなたが一つ推しカプ作品を書くことで「推しカプの件数が1個増える」というのだけは確かです。

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カレー沢先生こんにちは。いつも楽しく拝読しております。
私はいわゆる過去ジャンルに再熱している二次創作文字書きの腐女子です。最近どうしても逆CPの存在が気になってしまい、自分の解釈が間違っているのではないかと思ってしまいます。現在は逆CPの方が活動されている方が多いようで、よく地雷を踏んでしまうためブロックやワードミュートで対応しているのですが、その見てしまった内容を思い出しては私の解釈がおかしいのかなと不安になります。個人的に逆CPは絶対に作品の物語やキャラクターの解釈的にあり得ないのですが、あちらの分母が多いためにどんどん落ち込むようになって来ました。自分の解釈を心の底から信じ、これからも自分の好きな推しCPの二次創作をしたいのですが、そのためには私はどうするべきでしょうか? 助言いただけますと幸いです。