「作品を人に見せることが恥ずかしい」けど続ければ露出は芸術に変わる/カレー沢薫の創作相談

文/カレー沢 薫
自分の作品を人に見せることが恥ずかしい
カレー沢先生こんにちは!こちらのお悩み相談や著書などいつも楽しく拝読しております。
敬愛するカレー沢先生にお聞きしたいのですが、自分の作品にどうしたら自信を持つことができるのでしょうか?
私はいくつか推しカプの作品を書いてはpixivにアップしているオタクなんですが、どうもアップした途端自分の作品を恥ずかしく感じてしまいます。
日々の生活からなんとか創作時間を放り出して作り上げた愛すべき作品のはずなのに羞恥心が拭えません。
ブクマを貰えたら癒えるというわけでもないようでどうしたらいいのか……。
書き終わった瞬間はあんなに気持ちがいいのに、時間が経つと「こんなものしか作れないのか私は……」という絶望感や恥ずかしさ。
こんなものを世に出していていいのかと葛藤する日々です。
どうしたら気を強く保てるでしょうか。ぜひアドバイス頂けると嬉しいです。
創作をする人はみんな大なり小なりそれを見せることを「恥ずかしい」と思っているのではないでしょうか。
そもそも創作の元は頭の中にある空想、悪く言えば妄想であり本来外に出すものではありません。
つまり「表に出すものではない」という意味では「局部」と同じであり、局部を人に見られて全く恥ずかしくないと言う方が逆にヤバいような気さえします。
もちろん妄想をそのまま出すのではなく人様に見せるためにブラッシュアップはしていると思いますが「股間にシャネルの5番を吹きかけてきたから人に見せても全く恥ずかしくない」ということはないでしょう。
しかも、それを見せているのはあくまで自分なのです
JKに局部を見せた露出狂の方が「キャー!」と顔を覆って座り込んでいたら「だったら最初から見せるな」という怒りしか湧いてこんでしょう。
創作もついつい照れから、作品の横に「○○(キャラ名)練習! 難しいよ~(-_-;)」とか「ぐおお、失敗(滝汗)」とかエクスキューズを入れたくなってしまいますが、見る方からすれば「練習や失敗作を何故見せる?」となってしまいますし、仮に上手でも「失敗(;´Д`)」と書くことで「自分をデブと言い張る痩せギス」のような嫌味が出てしまう場合があります。
つまり創作において「照れ」は見る人に「見苦しさ」を与えるマイナスでしかないのです。
そもそも創作というのは「性癖カードバトル」「照れた奴から死ぬ戦場」「羞恥心早捨て競技自由形」と呼ばれています。
創作という大会にエントリーしている時点でそこに集っているのは全員ある種の露出狂なのですから、勝負はいかに局部という名の性癖を大胆かつテクニカルに見せるかにかかっています。
ここまで来ておいて変な照れを出し「お題:えげつないエロ小説」なのに「きゃうん♡」とか出していたら「んほぉ♡」を出して来る相手に勝てるわけがありません。
その結果評価が得られず、評価が得られないことで「何でこんな粗末なものを出してしまったのだ」と余計自信がなくなり羞恥が増す、という悪循環に陥ってしまいます。
この悪循環を断ち切るためには、どこかで自信を持ち、羞恥を断ち切る必要があります。
自信と作風を持つ
まず自信の持ち方ですが、一番てっとり早いのが「他人の評価」です。
正直、自信というのは実力よりも「周囲からの扱い」が重要だったりします。
どんな美貌と才能を持った人でも、周囲から一度も褒められたことがなく否定されてばかりだと、猫背、後ろ髪よりも長い前髪、真夏でも長袖カーディガンという、こんなのが家にいたら風水的に良いわけがない、呪いの生き人形が爆誕してしまいます。
確かにブクマが増えても恥ずかしさが完全になくなるということはありませんが、自分の局部を褒め称える人の数が増えれば増えるほど「自分では恥ずかしいと思っていたが、これだけの人が良いと言ってくれるなら、もしかしてお宝なのでは?」と自信が生まれ、羞恥がなくなりポージングもキマッていく、という良いパターンに入っていきます。
よってまずは、他人の評価を得ることを意識して書いてみてはどうでしょうか。
ですが、そう簡単にたくさんの評価が得られるならもう得てると思いますし、私だって得てます。
次に大事なのは「たくさん描きつづけること」そして「見せ続けること」です。
それもできれば同じジャンル、内容もいがらしみきお御大や湘南乃風の「睡蓮花」の前半と後半のように振れ幅がでかすぎて逆に一周、みたいなことはせず、話は違えど自分の温度はこれや、と決めて描きつづけてください。
見る側からしたら、自分の好きなジャンル、さらに推しカプの作品を大量にアップしてくれているだけでもありがたいですし、描きつづけることによりそれがあなたの「作風」になります。
作風が生まれれば「あなたの書くものが好きです」と言ってくれる人が一人ぐらいは現れるものです。
商業作家だと「俺だけはあんたの良さわかってるぜ」みたいな方が3人いるだけでは餓死ですが、趣味であれば「このジャンルのこのカプの作品」ではなく「あなたの書くものが好き」という人が一人でもいれば、巨大な自信となり、作風にも磨きがかかり「こういうの好きやわ~」という人がさらに増えていきます。
恥ずかしいからと言って描かない見せないでは、技術も向上せず、顧客もつかず、余計自信が持てなくなってしまいますので、とりあえず描きつづけ、出し続けてください。
技術がともなわなくても死ぬほど楽しい
また出し続けることで「露出慣れ」もしてきます。
私も正直漫画を人に見せるのは恥ずかしいのですが、10年もやっていればさすがに慣れますし「誰も見ていない」という真理に到達することもできました。
私はまだ「誰も見ていないのに他人の目を気にしている」という地獄で燻っている状態ですが、ここを越えると「誰も見てないなら好きにやらせてもらいまっせ」という開き直りに突入し、開き直ったことで性癖カードバトルでの無双伝説が始まる、ということもあるのではないでしょうか。
そして最後に「自信」からはじめる、という荒業があります。
パリコレの服など、どう見てもアタオカなものが一部ありますが、デザイナーが「これや」と出してモデルが「どうや」と着ていることにより「これの良さが理解できない俺がダサ坊なのだ」と、何故かこちらに敗北感が生まれてしまいます。
つまりいい作品を描いたから自信がつくのではなく、描いた人間が自信満々だから作品も良く見えるという現象もあるのです。
どれだけ技術的に稚拙な作品でも「大好きな○○を描きました!!」と、何の羞恥もなく出されたら「未熟な絵を堂々と」と思う一方で「でも俺にはこれを描いて世に出すことはできない」という謎の敗北感、なにより「これ描いてるとき、死ぬほど楽しかっただろうな」という、羨望が生まれます。
つまりまずは「楽しく描く」ことが最大の自信になります。
そして、恥ずかしいなら最初から見せない、見せると決めたら堂々と見せる、そして見せ続けることが大事です。
そうすることで、露出は「ヌード」という芸術に変わっていくのです。

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