アニメーター兼イラストレーター・技巧と意外なルーツに迫る。「米山舞 × pixiv ONE」アフターインタビュー

インタビュー/虎硬
1時間でイラストを描く「ワンドロ(ワンアワー・ドローイング)」を、ピクシブでライブ配信する『pixiv ONE』。注目の第2回は、人気イラストレーターの米山舞さん・望月けいさんを迎え、2018年6月10日(日)に『pixiv MARKET』内の特設会場にて開催されました。
今回は、米山舞さんにアフターインタビューを実施! ドローイングの解説と、イラストレーター・アニメーターとしてのルーツまで、たっぷりと掘り下げてお話を伺いました。記事の最後には、米山さんご本人と望月けいさんの動画解説もあるので、最後までじっくりとご覧くださいね。
望月けいさんを交えて
── pixiv ONE、お疲れ様でした。今日は望月けいさんも交えて米山舞さんにお話を伺います。


よろしくお願いします。

あ、けいさんにお土産があります。
── ?

お誕生日おめでとうございます!
▲ 米山さんから望月さんへのプレゼント

わー!! ありがとうございます!!
── イベント当日が望月さんのお誕生日でしたね。米山さんはイラストも描かれてましたね。

せっかくお会いできる機会があったので。完全に私の趣味ですが(笑)。

めちゃめちゃ嬉しいです……。
▲ 米山さんから望月さんへの誕生日イラスト
▲ 7月11日は米山さんの誕生日でした
全く同じ絵を3枚描く
── あらためて、ONEのお話を伺います。イラストは入念に事前準備をされていたようですね。

時間配分などを計算して予習を繰り返しました。はじめは雨粒もレイヤー効果に頼らないでブラシで描き込んでいこうかなとも思ったのですが、1時間に収めるためにどのくらい省略するか研究を重ねて今回の描き方となりました。最終的には良い仕上がりになったかと思います。
── 事前準備のラフもクオリティが凄いですね! 省略について、特に気をつけた工程はありますか?

最初はモノクロを検討してました。ただ、配信での見栄えを考えて今回はカラーイラストにしたので、色を置いていく工程には時間を多めに配分できるよう気を遣いました。
── 米山さんは、普段はアニメーターとしてご活躍されてますよね。アニメの現場でも「時間との闘い」は日常茶飯事かと思いますが、今回のライブドローイングではその辺りのプレッシャーはいかがでしたか?

「1時間で出来るかな」というプレッシャーは確かにありました。ですが、そのプレッシャーも基本的には楽しみながら描けたので良かったと思います。アニメの現場では待たせている人がいて辛いというか、無になってやっていることが多いので(笑)。
── 本番のイラストのために練習で3枚描いたと伺いました。1枚1時間として3時間程度ではありますが、エネルギーがすごそうですね。

時間内に伝えたいことが表現できないと失敗なので、入念に準備しましたね(笑)。

▲ 最初のラフ案

▲ 本番とは別に描かれたイラスト
ルーツは台湾とブックオフ
── ここからは米山さん自身のことを聞いていこうと思います。まず、出身地はどちらになりますか?

出身は長野県です。めっちゃ山ですね、山しかない(笑)。母親が台湾人なのもあって、幼稚園児の頃に1年、小学生の頃は2年ほど台湾に在住していました。なので、中国語も少し話せます。
── そうなんですね。現地の日本語学校のような所にいたということでしょうか?

幼稚園に通っていた頃はそうでしたね。小学生の頃には既にある程度(台湾語での)会話が出来たそうなので、普通の学校に通っていました。
── それ以来、台湾の方に行かれることはあるんですか?

ありますね! 旅行だったりとか、親戚の用事だったりで少なくとも4、5年に1回は行っていると思いますね。
── 小さい頃のエピソードなどあればお聞かせください。

長野に住んでいた頃のエピソードになりますが、基本的には山しかない田舎なので情報源らしいものというとブックオフしかなかったんですよね。立ち読みで『色彩王国』、『コミッカーズ』や古い漫画に触れたことが機会になって、「イラストを描きたいな」とか「アニメをやってみたい」という気持ちになった覚えがあります。私は廃墟が好きなので時々絵にとりいれるのですが、そこは台湾の影響が強いかもしれませんね。住んでいた台北市がそんな感じだったので。
── 文化的にもかなり違いがありそうですね。

今の台北市の都心は日本的で綺麗な街並みですよ。台湾はご飯がとても美味しいんですよね。飛行機でも2時間くらいです。
アニメーターの「イラスト」に魅せられた
── 高校を卒業してからは専門学校に通われたのですよね。

父親が建築士で、パースが学べると聞いたので高校は建築科に入学しました。田舎だとなかなか美術系の高校がないんですよね。建築学科では絵よりも計算ばかりでしたが(笑)。卒業してからは東京デザイナー学院のアニメ科に入学しました。その学校に決めた理由は、アニメーターの吉成曜さんや吉田健一さんが出ていたからというのが大きいですね。
── アニメの学校に進むことを決めた理由はありますか?

中学生の頃まではどちらかというとアニメーターよりもイラストレーターになりたいという気持ちが強かったことを覚えています。アニメーターに傾倒していくきっかけとしては高校生の時に買った『edge』というイラスト集でした。田島昭宇さんやokamaさんの絵を目当てに買ったところ、一緒に掲載されていた今石洋之さん、吉成曜さんや田中達之さん、すしおさんなどのアニメーターのイラストを見て衝撃をうけました。すごいサービス精神で、隅々まで上手さを見せ付けられたような感じがしたんですよね。それからは「絵が上手い人はアニメーターになるのか、じゃあアニメーターになろう!」と思ってアニメ科に進学する決心が付きましたね。

『edge』って4000円なんですね。当時高校生だと考えるとなかなかお高い画集。

大枚はたいて買った覚えがありますね(笑)。
── 動いている映像よりも、アニメーターさんの描くイラストが好きで、結果的にアニメの世界を目指したのですね。

そうなんですよ! 大友克洋監督の『老人Z』や押井守監督の『攻殻機動隊』をビデオ屋さんで借りてきて「うめ~!」と唸ったりしていましたね。元々アニメは好きだったのですが、一気に惹かれていったのはこの頃になります。
── 特に好きな作品はありますか?

先程挙げた作品に加えて『AKIRA』などの背景までしっかりと描写されている作品はどれも好きですね。田島昭宇さんの『BROTHERS』や『(多重人格探偵)サイコ』の扉絵なんかカッコイイ! と思ってました。。
── 僕も高校生の頃は表紙に衝撃を受けて『多重人格探偵サイコ』にハマりましたね。

誰もが通る道というか、『多重人格探偵サイコ』もまさに「絵ウマ」じゃないですか。「絵ウマ」にハマるんですよね。
小学生時代は漫画を仮想通貨で販売!?
── 絵はいつ頃から描いていましたか?

絵自体は子供の頃から大好きで、幼稚園児の頃から描いていましたね。特に『セーラームーン』の影響が強かったと思います。小学生の頃は、うさぎとレイが喧嘩してる同人誌もどきな漫画も描いていました。クラスに1人は絵が上手い子っていると思うのですが、その子と競うようにして描いてましたね。クラスメイトの間で、今でいうところの仮想通貨みたいなものを導入して、漫画を描いてそれを売る同人即売会のようなことをしてました。
── その仮想通貨は発行し放題なんですか?

もちろん発行し放題です(笑)。紙に書いて持ってきてみたいな。ごっこ遊びというか、そういうのが好きでしたね。
── 僕も手作りカードダス的なのをやってたことを思い出しました。

本格的に絵を描きはじめたのは中学2年生の頃です。ネットでイラストコンテストが行われているのを知ったんですよね。ちょうどペンタブを買って貰ったこともあって、腕試しに投稿しました。結果は毎回2位でしたね(笑)。そういうきっかけがあったのと、両親がインターネットをさせてくれるような環境が大きかったと思いますね。父親も絵を描いていて、上手なんです。
── ご両親の理解がある点では、望月さんとも共通していますね。

進学の面でも応援して頂けるのはありがたいですね。

色んな人に絵を見て欲しい気持ちが強いのもあって、そこは恵まれていたと思います。
── 米山さんは昔からデッサン力が高いイメージを持っているのですが、そういった訓練はされたのでしょうか?

いえ、初めの頃は大分ひどかったんじゃないかなと思います。今見直すと結構恥ずかしいです(笑)。元々は少女漫画っぽい絵柄だったのですが、『攻殻機動隊』の影響などがあって段々とデッサンにのっとったものにシフトしていく時期があって、アニメーターに傾倒していた時期というのは、自分からすればデッサン力を鍛える時期だったのかなと今では思いますね。この頃とかは大分ヒドいもんです。じっくりみないで欲しい……。

20歳前後でこんなに上手いんだなって驚いてます。




▲ 専門学校時代のポートフォリオより(最下段左:2009年 右:2011年頃)
── こういった絵は専門学校の授業で描いていたのでしょうか?

少しはあるかもしれませんが、基本的には自主的に描いたものが多いです。専門学校は課題が忙しく、あまり趣味の絵を描く時間もなかったんですよね。当時はアニメーターMADが流行っていたのもあって、松本憲生さんが担当された『NARUTO』133話の動きをトレースしていました。
── アニメーターの方は、よく松本さんを挙げますよね。当時、界隈に与えた影響は物凄かったと思います。

はい。あとはよく30秒ドローイングをやっていましたね。私は練習嫌いなんですが、1ヶ月でスケブ埋まるくらいは描いていましたね。
── それはすごい。やはり相当な鍛錬の末に、今の米山さんがあると思うのですがいかがでしょうか?

田舎から上京してきて、どんな環境でも負けないぞという気負いはあったと思います。「1番上手くありたい」という気持ちは強かったです。
── 実際、学生時代ってレベルの差が激しいですからね。望月さんもそういう感じでしたか?

まさに「自分が1番上手い」って思って学校に行ってましたね(笑)。

かっこいい。
── 自信は大事ですよね。

そういったメンタルがないと仕事を続けていくのは難しいかもしれませんね。少し黒歴史なのですが、卒業制作で色んなグループを点々としたことがあるんですよね。集団制作なんだけど、あまり満足のいくものができそうになくて。結局、一人で制作しましたが「なんだコイツ」とは思われたかもしれません。

自分もグループ制作は絶対イヤで、個人で制作していましたね。
── 強者は強者としかつるまない説。

単にプライドが高かったのかも知れません(笑)。でも、私のひとつ下の学年に、とんでもなく上手な子が入ってきたんですよね。今でも有名なクリエイターになってますが、あの時の衝撃はすごかったです。もちろんプロになってからは天才みたいな人達ばかりで、学生時代の自信みたいなものは大分砕かれてしまいました。
── 学生時代とプロになったときの実力のギャップは本当にすごいですよね。
できないことに挑戦すると引き出しが増える
── 卒業後はどういう進路を歩まれたのでしょうか?

専門出てからはしばらく就職活動もせずに結構怠けていたんですね。練習が嫌いなので特にポートフォリオを作るということもあまりしていませんでした。ある日、クロッキーの先生がやっている定期クロッキーの会に参加しました。そこには『ブブキ・ブランキ』で監督をされた小松田大全さんが来ていたので、自分の絵を見せました。「これならGAINAXに来れるよ」と言われ、じゃあ受けてみようと。それから試験を通り、入社しました。自分からすればGAINAXは高嶺の花というか、聖域だったので嬉しかったです。
── GAINAXには何年間いましたか?

2009年から5年弱でしょうか、『まほろまてぃっく』の動画マンから始まり、『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』で初めて原画を担当しました。
── 原画になって最初の作品が『パンスト』なんですね。絵のクセがかなり強そうです。

初めての原画から二重線でした。というのは太い線をアニメで描こうとすると、内側の線と外側の線で二重線になるんですよね。その時に色々教えていただいたのが、すしおさんでした。
── すしおさん!

それから色々と担当させてもらいつつ、『ブラック★ロックシューター』からはTriggerに移籍して今に至ります。
── 印象に残っているお仕事はありますか?

中堅になる頃に担当した『キルラキル』ですね。作画監督はそれまでに何度かやっていたのですが、メインの話も担当させていただいて印象に残っています。すしおさんからも信頼いただいていたので嬉しかったですね。劇画タッチなどニュアンスの強い絵が、自分とは相性が良くて描いてて楽しかったです。
── 『キルラキル』はクリエイター内でも特に評価が高い作品だと思います。愛されてるなぁ、と。

特に表情がすごいですね。アニメの現場ではキャラクターの口はここまでしか開けてはいけないといった制約が結構あるんですが、そういったものを敢えて取り去ったのが『キルラキル』なんです。今石洋之さんやすしおさんが監督される作品だとそういう傾向が強くて、その影響を取り込んで上手く落とし込んだ作品だと思います。
── やはり監督のスタイルはアニメーターの絵に強く反映されるのでしょうか。

間違いなく現れると思いますね。スタイルは勿論、絵に対する考え方も変わってきます。今石さんの担当作品の現場では「今石さんのコンテ回で原画を描くとすると頭がやわらかくなる」といったことはよく聞きますし、実感もしますね。
── 「やわらかくなる」とはどういうことでしょう?

とんち的というか、想像のできないような画面をつくるんですよね。コンセプトを与えられて「どうしたらこう描けるだろうと」よく悩みながら描いてます。これはすしおさんからの受け売りなのですが、自分に描けない絵を描こうと努力した時にそれが新しい引き出しになると思っています。難しい仕事もポジティブにとらえたいですね。
── いい言葉ですね。
アニメーターからイラストレーターへ
── 米山さんご自身の過去の作品について伺いたいです。個人的には小説『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと / 石川博品』(ファミ通文庫)で描かれていた病室のイラストが本当に素晴らしいと思っていて。

ありがとうございます!
── 構図、光の設定が見事で人物を見事に説明しているかなと。病んでいる雰囲気というか、窓辺にいる子の胸のぺったり感など、ここまで状況を表現できる方は貴重だと思うんですよね。

細かい気遣いを感じますよね。

見ている人を細部まで楽しませたいというか、サービス精神みたいなものは意識していると思います。自分の絵柄はあまり個性的ではないので、その分どう演出させるかという部分には注意してますね。
▲『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと / 石川博品』(ファミ通文庫)挿絵

窓枠、かっこいいですね。

窓枠描くの好きなんですよー! 直線的で絵がしまるというか。
米山さんは最近はイラストのお仕事が増えているようにお見受けします。アニメとイラストって近いようでかなり遠いと思うのですが、イラストにシフトしようと思ったきかっけなどはありますか?

イラストが元々好きだったというのが大きいです。ネガティブな理由をあげるなら、アニメの現場は集団作業なので妥協する部分は出てくるんですよね。加えて激務ということもあり、少し疲れてしまったというのはあります。
── 米山さんは昔から多くのファンがいたとは思いますが、ここ2年で一気に有名になった印象がありますね。

2016年にいただいた『レーシングミク』のお仕事が大きいかもしれません。コヤマシゲトさんからをお声をいただいた時に、オーダーに応えて描くことが凄く楽しかったんですよね。
── それまではイラストのお仕事はあまりされていなかったんですか?

少しだけやっていましたね。アニメの仕事だけでは収入が厳しいので、合間に絵の仕事をとる感じで。
── やはりアニメのお仕事は大変なのですね。米山さんの絵が大好きなので、イラストのお仕事をしてくれるのは嬉しいです。

技術的な意識の変化もあります。アニメの現場では自分の表現を磨く機会が少ないです。そういった意味でイラストは自由度が高いので色々な挑戦をしていきたいですね。
── イラスト業界はどうですか?観測範囲もだいぶ変わりそうですが。

ずっとアニメの世界だけを見ていたので、色々なイラストを勉強している最中です。本当に上手な人ばかりで浦島太郎状態になってますね!

▲ アイマリンプロジェクト 2018年ver.
── 米山さん以外にもアニメーターからイラストレーターになる方は増えているのでしょうか?

増えているようですね。アニメーターは描くのが早く、絵柄を合わせるのが得意ですから最近のニーズには合っていると思います。主にソーシャルゲームの案件では統一されたタッチでキャラクターを量産することが増えてますからね。
── 今後、やってみたいことはありますか?

コンシューマーゲームが好きなので、舞台設定やキャラクターデザインに携わりたいと思ってます。アニメーターになる前はゲーム会社でイラストレーターとして働きたいと思っていたので、実現したい夢のひとつですね。

あとは自分の画集を出してみたいですね。まだまだたくさんの作品を発表しなきゃいけませんね。
── 画集いいですね!

もちろんアニメの仕事もタイミングが合えばやりたいと思ってます。イラストで学んだことを逆にアニメにとりいれていければなと。『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のエンディング演出では、その辺りの表現が上手くいったかなと。具体的には画面の色彩や空気感のコントロールですね。後工程の方にこういう効果を使ってくださいと明確に絵として伝えられたと思います。


▲ TVアニメ「ダーリンインザフランキス」イメージボード
── このイメージボードは素晴らしいですね。動画の知識とイラストのセンスがないと描けないような凄まじいパワーを感じます。

ありがとうございます。今後も色んなお仕事を通して表現の幅を増やしていきたいですね。
── 今後も応援してます!
米山舞さんのドローイングを、米山さんご本人と望月さんが解説!
ライブドローイングイベント「pixiv ONE」で描かれた米山舞さんのイラストを、米山舞さんご本人と望月さんが動画で解説してくれました。 1時間という限られた時間の中、どんなポイントに留意して描いていたのか、気になるテクニックがたくさん見つかるかもしれません!
※ 望月さんの声には音声加工をしています。