神絵師とは「フヒ=オウフ」の方程式を知っている人。自己評価と他者評価の折り合い/カレー沢薫の創作相談

自分の作品への愛が他人の評価で変わってしまう
まあそれよりまず、俺のpixivのページを見てくれよ。
大半が自分の作品紹介、ギャグ二次絵やマンガだが、ごくたまにキャラがキメ顔で突っ立ってるだけ、みたいなカラーイラストが投稿されているだろう。
実は俺が本当に評価されてほしいのは「そっち側」だし、もちろん「良く描けた」と思ったから投稿している。
しかし、現実はそういう作品につけられるブクマは「二桁」なのだ。
仮にもプロ作家が「二桁」を叩きだす方が逆にすごいんじゃないかとさえ思える。
片や、鼻くそをマイニングしながら描いたとしか思えないペイントの落書き集には「四桁」のブクマがついていたりするのだ。
他人の評価が自己満を卒業したから
マンガなどにおいて「名作」として名前が挙がってくるのはほとんど「たくさんの他人に評価された作品」なのです。
ドラゴンボールだって「鳥山明本人にだけバカウケ」だったら、名作とは呼ばれてないし、商業的には「駄作」ということになります。
しかし「名作」というのはたくさんの人間に支持されたものだけ、というわけではなく「世間的には評価されてないけど個人的に好きな作品」としてサブカルクソ野郎が得意満面で名前を出せる、という意味で価値のある「名作」も存在します。
また、ドラゴンボールが全く世間で評価されてなかったとしても、鳥山明が「全然売れなかったけど、チチ(幼少期)をこの世に生み出せただけでも良かった」と思っていたら、それはそれで本人にとって大きな価値ある作品となります。
このように何を名作とするかは価値観によって変わるので、あなたが「他人の評価>自分の満足」という価値観であれば、他人にウケたものは良作で、ウケなければ駄作に感じるというのは当然であり、悪いことでもありません。
価値観というのは経験によって日々変化するものです。
1人で描いていた時は「己の満足が第一」だったものが「ネットに公開する」という経験を経て「他人の評価を重視するようになった」のだと思います。
その変化を受け入れられず「自分の作品の価値は自分が決めるものやろがい」という過去の価値観を固持しようとするから苦しいんじゃないでしょうか。
過去の価値観に戻りたいなら、ネットに公開するのはやめましょう。人に見せれば人の評価に一喜一憂下痢嘔吐するのは当たり前なのです。
おそらく「自分の作品の評価が他人基準になってしまった」と言うから聞こえが悪くて悩むのだと思います。
そうではなく「自分の「フヒッ!」ではなく、他人の「オウフッ!」に悦びを感じるようになった」と言ってみてはどうでしょうか。
つまり、自己満足から卒業して、人の笑顔のために描きたいと思うようになったという創作者としての「成長」を果たしたのです。
それに、他人の評価を無視し、自分がカッコいいと信じた推しの左向きバストアップ絵をアップし続け、それが世間に無視されつづけたら、その内「推しを描くのが嫌になる」と思います。
自分がプロデユースした推しという名のアイドルに全くスポットライトを当ててもらえず、オンエアを見たら全カットだったら悲しい気持ちになるでしょう。
しかし、推しに魅力があるのは間違いがない、つまり「自分には推しを輝かせる才能がないから他の奴に任せる」という結論に達してしまいます。
推しを楽しく描き、世の中に発表し続けるためには「自分がプロデュースした推しが他人にチヤホヤされているのを、ライブハウスの後ろで腕組&頷き鑑賞」という満足感が必要であり、そのためには「他人の評価」を気にすることは不可欠です。
神は「フヒ=オウフ」の方程式を知っている
しかし、自分の描きたいものを封印して、他人にウケるものだけ描き続けても、今度は「俺はなんのために描いているのだろう」という面倒くさい感情に必ず支配されてしまいます。
世のバズ神創作者も、他人にウケることだけ考えて描いているわけではなく、基本的には「自分の描きたいもの」を描いていると思います。
神というのは、そのまま出したらクセが強すぎて食えたものではない己の「フヒッ!」を、どう料理して出せば他人にとって「オウフッ!」になるかを考え抜き、それを可能にする技術を持っている人なのではないでしょうか。
あなたも「フヒ=オウフ」の方程式が成立するように、「会心の出来だと思ったのにシカトされた作品」と「よくわかんねえけどウケた作品」を分析、融合し、いつか自分も他人もニッコリな料理を作りだせるよう頑張って下さい。
もしくは、いつもは他人の評価狙いの作品を描いて承認欲求を満たし、それに疲れたら、自分のためだけに斜め45度の棒立ち推し絵を描く、という「描き分け」をするのもお勧めです。
最初から悟空のように「これは自己満足の分!」と叫びながら投稿すれば、ブクマが2桁でもショックをうけません。
もしくは、自分が最高傑作と思ったものを「ブクマ2桁」せいで駄作と思いたくないと思ったら「人には見せない」というのも手です。
創作者にとって「他人のチヤホヤ」は栄養なので、描き続けるためには「チヤホヤのために描く」こともときには必要です。
岸辺露伴先生は「この岸辺露伴が金やちやほやされるためにマンガを描いてると思っていたのかァーッ!!」とブチ切れてましたが、露伴先生は360度どこから見ても変わり者ではないですか。
あんな人の主張がスタンダードなわけがありません。凡人は大人しく隙あらばチヤホヤを吸って長生きしましょう。

こんにちは。『カレー沢薫のワクワク人生相談』の御本を読み返すたび珍&名回答に笑いや勇気を頂いてます(余談ですが母がペットロスの項目にいたく感銘を受けていました)。そんな先生にご相談です。
私は二次創作でマンガを描いているのですが、自分の作品の評価=他者の評価になってしまうことに悩んでいます。
ネットで公開する前までは描いた作品に対して「この話最高!」「推しの顔かわいく描けた〜!」など心の中で自褒め満載なんですが、ネットにアップして評価がイマイチだった途端冷めた目で作品を見てしまいます。逆に適当な気持ちで描いたものが高評価をもらうと何度もその作品を見返して「これ描いたの天才では?」と天狗になっています(描いている時一度も思わなかったのに)。
自作品への愛が他者の評価でこうも変動してしまう自分が嫌です。自分がいいと思って描いたはずなのに……。何かアドバイスなどありましたらぜひよろしくお願いします。