「私の中の最強の推しになっていないか不安」でも、その推し方も間違いではない/カレー沢薫の創作相談

「私の中の最強の推し」になっていないか不安
で、でたー、どの作品のどのキャラか気になりすぎて相談どころじゃ無奴ー!!
というわけで、どこのどいつなのかはあとでDMください。
確かに二次創作というのは、「推しがこんなパンツ履いてたら捗るな、原作では常に全裸だけど」など作品やキャラに対する己の理想や願望の具現化であり、原作を寸分たがわず模写する写経派でなければ、大なり小なり「原作には描かれていないこと」を描く場合がほとんどです。
むしろ「推しカプの結婚式が原作で落丁しているから俺が描く」というのが二次創作の初期衝動であり、原作という活きが良い素材を独自のソースで味付けし、「原作と自己解釈のマリアージュ~セックスしないと出られない部屋を添えて~」など原作とは違うんだけどそれはそれで美味い逸品を創り出してお客に喜んでもらうのが、二次創作の醍醐味と言えます。
しかし、推しに対する夢や希望がでかすぎるあまり、どんどんオリジナルソースの味が濃くなってしまい、琵琶湖級のソースの中央に原作というミートボールが1個浮かんでいるような状態になってしまうときもあります。
そうなると、果たしてこれは本当に自分の推しなのかという迷い、ただ俺の最強のオリジナルキャラ設定を発表したいがために有名作のキャラを利用しているだけなんじゃないか、という後ろめたさが生じてしまいます。
しかし、二次創作である以上どんなに頑張っても「正解」は作れないので「これ本当に推しか?」という迷いは常にありますし、人様のキャラや世界観を借りてよろしくやっているという罪悪感も完全には消えません。
迷いが消えない以上、あとは「誰がなんと言おうとこれは推しだ」と信じ、勇気を出して「推しの琵琶湖風ですお召し上がりください」とお出しするしかありません。
「おしりを出した子一等賞」という謎歌詞も、いま思えば「『解釈』という人間の心にとってケツのように柔らかい部分をさらけ出した時点でエライ」という意味だったのかもしれません。
それがプリケツだろうが、佐渡島みたいなアザがあろうが、ケツ毛がイタリアンビーフのようにはみ出ていようが関係なく、それぞれの良さがあるし、その良さも出してみないことにはわからない。まずは解釈を二次創作として完成させ、世に出した勇気にでんでんでんぐりがえってカンパイパイです。
もし勇気が出ない、または急に不安になってきた、としたら、まだ自分の解釈が未完成、もしくは解釈を捏ねすぎて「自分の解釈が解釈違い」という自分の匂いで死ぬカメムシみたいな自家中毒を起こしている可能性があるので、いま一度自分が心から美味いといえる解釈をしなおしてみてもよいかもしれません。
以上が「ある程度公式設定が出ていて、他に推している人間もいるキャラの解釈に悩む人」に対する答えなのですが、あなたの場合はまた事情が違うような気がします。
「二次創作」の自由さに感動した
あなたにとっては悩みなのかもしれませんが、私は今「二次創作」という趣味の幅の広さ、自由さに猛烈に感動しています。
こんな頼もしさを感じたのは「オリキャラ×オリキャラ」という二次創作本を見て以来です。
多分あなたはそのキャラを推すと決めたとき「俺がこの星の最初で最後の住人となるだろう」という覚悟があったのではないかと思います。
常人であればこれから始まる孤独と、作品を生み出しても「自分にしか需要がない」という事実におののき、開拓を諦めて去ってしまったかもしれません。
その恐怖を乗り越えてこの地を耕すと決めた時点でドラマチックですし、もし何の恐怖もなく、モブオーラ漂うそのキャラを見た瞬間「ここをキャンプ地とする!」と他に生命が見当たらない惑星で宣言したのなら「とんだ荒くれ者が現れやがったぜ」というワクワク感があります。
キャラは脇役なのに推しているあなたが主役キャラっぽいという不思議な状況です。
実際、そんな人もいなければろくに供給もなさそうな場所で、原作の数万倍もの作品を生み出したというのは、もはや一人の開拓民の奮闘記というより「不毛の惑星に豊饒神が降臨した」ぐらいの話であり、別の惑星の住民にすら「もうお前が神でいいよ」と認められてしまっていることもスケールがでかいです。
普通だったら「あの人の解釈が正解に近い」といわれるような「神」が現れるのは、「あの解釈が正解と言われるのが気に入らない勢力」との戦争が勃発しがちな終わりの始まりなのですが、あなたの場合は「対抗神なしの満場一致の神」を達成しています。
何かと争いが起きがちな二次創作界で平和星を完成させたということは偉業です。
無人の星を選んで行けば誰でも唯一神にはなれますが、心から好きになったキャラの惑星がたまたま無人、というのは狙ってできるものではありません。主要キャラだけに目を奪われず、この世界の片隅に推しを見つけた、あなたの原作に対する丁寧な視線あってこそだと思います。
その推し方も間違いではない
しかし、あまりにも自分ひとりの世界すぎて「ここには自分の幻想があるだけで推しはどこにもいないんじゃないか」という不安にかられるのもわかります。
確かに、あなたの推しはあまりにも公式情報が少ないです。作者に「あのキャラの一人称は?」と聞いたら「ぼくちん」という言葉が返ってきて、一瞬ですべての作品に「#一人称改変」というタグをつける事態になる可能性もあります。
しかし「私は自分をガッキーだと思っている」という公式解釈が完全に正しく、「いやどちらかというと餓鬼だろ」という他者解釈は間違っているかというと「そういう要素もある」場合も多いので、あなたの解釈も完全に幻ではなく、作者以上に推しを見続けたあなたの解釈にも必ずどこかに「一理ある」と言えるでしょう。
仮に解釈が間違っていたとしても「毎朝電車で乗り合わせるだけの君」に思いを馳せる恋の仕方が間違いではないように「声優も知らない推し」に想像を膨らます「推し方」は間違いではないはずです。
全ての恋に「それが今の私の妻です」というオチがつかないとダメなわけではありません。
「3年間言葉すら交わさず終わったあの子は今何をしているんだろう」とたまに思い出すような恋があってもいいように「一人称すらわからずじまいだった、あのキャラは結局どんな人だったのだろう」と老人ホームで思い出すようなエモい推し方ができたのは、ある意味貴重な経験だったのではないでしょうか。
それでは忘れずに、どこの誰だかDMください。

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「原作無視の二次創作が気になる」「過疎ジャンルで感想がもらえない」「40代で同人イベントはやめるべき?」「推しを死なせてしまう矛盾と苦悩」など人気回のほか、書き下ろしのお悩みも収録。
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メジャージャンルのドマイナーな推しを推し始めて数年経ちました。
王が入る謁見の間の扉を開く係くらいの推しです。
作品はアニメ化どころか映画化されているにも関わらず声は当然分かりませんしわかる情報は最高にかっこいい(主観)くらいです。しかし好きなのです。
漫画のコマの端に服が見切れているのを喜び、主要キャラを見つめる優しい姿に発狂し、二次創作が捗ってきました。
しかしそれ故に、私が推しているのは推しではなく私の中の最強の推しなのではという悩みがつきません。
ふと振り返れば原作の数万倍の量で書かれた推しの姿。性格どころか一人称から生い立ちまで捏造。渾身の分厚い本を基にフォロワーの中でもそれが公式であるかのように語られるようになった推しは、果たして本当に推しなのでしょうか。
最近原作が完結してしまい、公式との解釈違いは防げましたが、正解の推しがもうどこにもいない事実が恐ろしいです。