加齢で創作に対して心が鈍化している。けれど30代で得たものだってある/カレー沢薫の創作相談

若い頃のような創作への情熱は取り戻せるのか
ある程度年を取ってから鋭くなることと言えば、腰と関節の神経ぐらいで、心も体も大体鈍くなる一方です。
小学生のころは学研の付録を見ただけで唾液が止まらなかったのに、今ではカブトエビの卵がかえることなくカビたことなど、嫌なことを思い出して心とTゾーンが渇く一方ですし、20代の頃なら新しいダイエット食品を見る度に「これを飲めば20キロ痩せて、顔も何故か石原さとみになれる」と思っていましたが、今では「仮にこれで20キロ痩せてさとみになれるとしても、俺はこれを飲み続けることすらできないに決まっている」と冷めた気持ちで見てしまいます。
創作に関しても、私は物心ついたときから二次創作野郎でしたので、若いころは少しでも琴線に触れるキャラが現れたら「とりあえず、このキャラの左斜め45度を向いたバストアップイラストを自らの手で量産せねばなるまい」という衝動に駆られ、実際そうしていました。
しかし今では、推しですら「自分で描くのは面倒くさい」と思うようになり、これはと思うようなキャラに出会ったら、まずそのキャラを描いてくれている神絵師を探すか、pixivで「キャラ名 R-18」で検索するという、己は全くクリエイトしない行動をとることが多くなりました。
このように、年を取ると創作含めて全てのことに関し情熱が薄れ、面倒臭さの方が凌駕するようになり、インプットのために新しい映画を見ようにも「またステイサムとブルースウィルスの見分けをつけるところから始めんの、めんどくせえなあ」と、何回も見た映画デビルマンを見てしまったり、他の創作を読みにpixivに行っても、気が付いたら「100万回ぬいたねこれ」みたいな、ブックマーク群の巡回で終わってしまったりします。
つまり「誰にでも起こる加齢現象だから仕方がない」と受け入れることも大事です。
感性が鈍るのを遅らせることはできる
しかし、いくら年だから仕方がないと言っても、毎朝鏡を見る度に「実家の仏壇で見ことある顔だ!」と進研ゼミ状態になっているようでは余計老け込んでしまうものです。
年を取るのは仕方がないですが、「いつまでも元気で若々しくいる努力」はした方が良いと言えます。
創作に関しても、アウトプットはともかくインプットの方は出来るだけ続けるように心がけましょう。
私も、何度も見た映画デビルマンを見ることにより、落ち着きや安心感は得られるのですが、脳と表情はずっと死んでいます。
初回に見たときから死んでいるので見れば見るほど死ぬ一方です。つまり「刺激」が得られません。
そうすると、新しいものに触れない→刺激がない→余計頭と感性が老化する→創作がさらに楽しくなくなる、という悪循環が加速してしまいます。
加齢で感性が鈍くなるのは自然なことですが、それを遅れさせることはできます。よって「健康のために不味くても青汁を飲む」感覚で、「ボケと感性の老化防止のために面倒でも新しいものをインプットする」ようにした方が良いです。
それも「時間があったらこの映画見よう」ぐらいの気持ちでは永遠に見ないので、少し無理をしてでも気合を入れて見た方が良いです。
大体、中高年オタクが言う「最近新しい作品を見るのがだるい」というのはアニメでいえば「再生を押すまでがだるい」というケースがほとんどなので、一念発起して再生さえはじめてしまえば、オープニングが終わるころには「暫定推し」や「CP候補」が出来ていたりと、昔ほどではなくてもなんらかインスピレーションが刺激されるものですし、創作をやる人間なら「こういう話書いてみたい」とか「俺ならこうする」的なことを自然に考えてしまうものです。
よって「気が向いたら」ではなく「月一で鍼灸院に行く」感覚で「月に1つは新しい映画を見る、本を読む」という習慣をつけることで、感性の老化防ぎ、定期的に刺激を受けることで、創作への意欲も少しは若さを取り戻せるのではないでしょうか。
とはいえ、若かりし頃に執着するのではなく
しかし、いくつになっても若々しく元気であろうとするのと、いつまでも若かりし頃を懐かしみ執着するのは全く別です。
年より若くあろうとするのは良いですが「還暦になっても18歳に見られたいし、同級生が赤いちゃんちゃんこを着ている中、バドガールコスプレで登場したい」というのは無理があるし、精神的にも健全とは言えません。
一応言っておきますが、還暦でバドガールのコスプレをするのが不健全なのではなく、過度に「加齢」という自然現象に抗おうとするのは精神的に良くないという意味です。
バドガールは100歳になっても、やりたければやればいいと思います。
よってあなたも「10、20代の時に持っていた創作への情熱や楽しさ」に固執しない方が良いでしょう。
それは結局「あの頃はよかった」「俺はもっとデキる奴だったのに」という今の自分を否定する考えだからです。
しかし「年だから諦めろ」という話でもありません。
最近「グレイヘア」というファッションがあります。
白髪を黒く染めるなど不自然な真似はやめ、自然な白髪のままにするヘアスタイルですが、老いへの諦めというわけではなく、むしろ白髪を若い頃にはできなかったオシャレとして扱うという「老いを楽しむスタイル」です。
それと同じように10代の時の創作スタイルを懐古し、取り戻そうとするのではなく、今現在の創作へのスタンスをもっと肯定してはいかがでしょうか。
例えば、若い頃は確かに情熱があり、創作スピードも量も尋常ではありませんでしたが、逆に「毎日描かねば」みたいな、謎の焦燥感があった気がします。また、「好きです、続き楽しみにしてます」と言われたら、ウレシオ(嬉し潮吹き)するぐらい嬉しかったですが、同時に「早く続きを描かないとこの人はすぐ去ってしまう、しかしこの人が期待する続きを描けるのだろうか」というような、必要以上のプレッシャーを感じていたような気がします。
それが今では「続き楽しみにしてます」と言われたら「ありがとう! でも小生23時過ぎると眠くなっちゃうから、気長に待ってね! 待てなかったら他の人のを見てくれよな!」と言えるだけの「創作に対する落ち着き」があります。これは若い頃にはなかったものです
このように、30代になって失ったものがあるのは確かですが、逆に30代になって得たものだってあるはずですので、そっちに目を向けましょう。
創作のみならず、失ったものを数えて嘆くより、新しく得たものを「よく来たな!」と歓迎する方が、人生は楽で楽しくなるものです。

一次創作のBL字書きです。
10代20代の頃は何を書いても楽しく一日3時間睡眠で毎日1万字程度上げていたのですが、30代になった現在気力や体力の衰えのせいか、「書いていて楽しい」というあの頃の気持ちが戻ってきません。
相変わらず自分のキャラクターは好きだし、有り難いことに私の作品を「好き」と言ってくださる読者様にも恵まれたのですが、10代20代の頃の「これを書き終えた瞬間世界が滅んでも悔いはない」というトリップ感や、書き終えたときの爽快感とは隔絶して、心が鈍感になっているのを感じます。
アウトプットだけじゃなくインプットも肝心なのはわかっているのですが、自分の創作物だけじゃなく、他者の作品への感度や吸収力も年々下がっている気がします。
あの日々をまた体験できるようになる方法はあるのでしょうか?
またカレー沢先生に同じような体験はないでしょうか。