描きたいから描くしカッとなってやる「クロスオーバー」/カレー沢薫のpixivタグ検隊

文/カレー沢 薫
突然だがこの連載、今回が最終回である。
……と言っても次回から別のテーマで何か始まる予定なのだが、とりあえずpixivタグ検隊としては今回が最後だ。
「探検隊とタグ検隊をかけたシャレなんです」と、タイトルをつけた担当に「ギャグを説明させる」という世界一寒い行為をさせたのも、今となっては良い思い出だ。
最終回で紹介するタグは「クロスオーバー」である。
「クロスオーバー」とはピクシブ百科事典によると「ある作品の登場人物が『その作品の設定を保ったまま』別の作品に登場すること」であり、日本では一般的に、「異なる作品のキャラクター同士が出会い、一時的に行動を共にする」という形式の作品を指すことが多いそうだ。
つまり、ある作品に別の作品のキャラが登場する創作手法ということである。
「クロスオーバー」はファンアート界だけの文化ではなく、公式でもたまに行われている。
有名なところでは『ルパン三世VS名探偵コナン』が挙げられており、テレビ版ではルパンの世界にコナンが登場し、映画版ではコナンの世界にルパンが登場している。「コラボ」つまり「コラボレーション」と「クロスオーバー」は何が違うのか、というとコラボは「共演、合作、共同作業、利的協力を指す言葉」だそうだ。
なるほど、ところでコラボとは何が違うのだ?と再度質問したくなるのだが、コラボは最初からルパンとコナンがファミマで待ち合わせしていたみたいな感じで、クロスオーバーはルパンがファミマに行こうとしたらたまたま途中でコナンに会った、みたいな感じだろうが。
一般人にとって「たまたまコナンに会う」というのは死んだも同然だが、どうやらルパンは死ななかったようである。
キャラの出会い方の定義はさておき「コラボ」というのは「そちらのキャラをうちの作品に出せば話題になって儲かりまっせ」という企業が宣伝のためにする商業的行為、つまり「金の匂いがするのがコラボ」というイメージである。
よって、ファンアートで違う作品のキャラ同士を絡ませている作品には大体「コラボ」ではなく「クロスオーバー」タグが用いられている。
ちなみに、同じタイトルでも別シリーズのキャラが共演するのもクロスオーバーになるらしくfateシリーズのキャラが共演する『Fate/GrandOrder』もクロスオーバー作品ということになる。
同様に、人気のシリーズものをソシャゲ化したものはクロスオーバー作品になっていることが多い。
世界的大ヒットとなった『アベンジャーズ』も違う作品のヒーローたちが共演するクロスオーバー作品である。
ちなみに、アメコミというのはキャラの著作権が一部を除き作者ではなく出版社にあるため、作者が「俺のキャラはトニー・スタークとは共演NGです、あんなイケメンと並ぶなんてマジ勘弁っす」と言っても拒否権はなく、会社の一存でクロスオーバーさせ放題となっているらしい。
よってアメコミ界というのは大乱交(クロスオーバーがたくさんされているという意味)状態であり、もはや最初からクロスオーバーありきで最初から「こいつとこいつは実は同じ世界に住んでいる」という設定で描かせたりするらしい。
ただアメコミの場合「ヒーロー」ということが共通しているので、クロスオーバーしてもあまり違和感がなく、逆にトニーとピーターが出会ってなかったころを思い出せないぐらいだ。
創作に「理屈などいらぬ」
ではファンアートにおける「クロスオーバー作品」というのはどのようなものだろうか。
ルパンとコナンであれば、探偵と泥棒という「これは相性抜群ですぞ」という必然性を感じるがファンアートには「理屈などいらぬ」というクロスオーバー作品も多い。
とりあえず人気作品から見て見たところ、『刀剣乱舞』の「へし切り長谷部」が元の持ち主である『FGO』の「織田信長」と絡んでいるなど、何かしら繋がりのあるクロスオーバー作品もあるが、中には、『FGO』主人公と映画『IT/イット』のペニーワイズなど、「二足歩行」以外共通点が見いだせないクロスオーバー作品も多い。
確かに「コラボ」と違い、利害があるわけではない、理屈や必然性、まして利益など関係なく「俺はこのキャラとこのキャラをミートさせたい」「思いついた、だから描く」という非常にファンアートとして正しい創作動機で描かれているものが多い印象である。
中にはクロスオーバーかつカップリング作品を制作している豪の者もいる。
つまりコナンとルパンで言えば、VSではなく謎の×記号が入っている作品があるということだ。
つくづく「創作とは自由」ということがわかるタグである。
「コナンとルパンはアカンやろ、必然性以前に法律的にもグレーや……」と言うような、頭の固い人間には読むことは出来ても作ることはなかなかできないジャンルである。
ファンアートとしてもかなり変則的なため、好みが分かれる創作手法ではあるが、人気作品になるとブクマが10000件以上ついていたりする。
焼肉と寿司を混ぜる、と言われたら、贅沢を越えてゲテモノに感じるし「別々に食いてえ」と思うだろうが、料理人の腕が良ければ、単体で食うよりおいしい料理になるということだろう。
もちろんおいしくならなかったとしても「何故混ぜた」などという質問は野暮だ。
「描きたいから描いた」つまり「カッとなってやった」という犯罪者の言い訳みたいなのが、創作界では正しい行動なのである。
