盗作?プロの変名?ネットを騒がせた”ソ連百合”こと『月と怪物』作者の実像

構成/松浦恵介 協力/隼瀬茅渟
2019年1月、『コミック百合姫』(一迅社刊。以下『百合姫』)とpixivが主催する“百合文芸コンテスト”に応募された一つの作品が、“事件”を起こしました。
「ナムボク」と名乗る謎の人物によって投稿されたその作品のタイトルは、『月と怪物』。旧ソ連の超能力研究を題材にした同作は、ソリッドな文体や、殺伐とした展開が際立つ異色作でした。
『月と怪物』ナムボク(南木義隆)
発表されるや、その独自性、クォリティの高さから、ネット上では「この作者は何者だ?」「プロ作家の変名では?」と話題になり、一時は「謎のソ連百合」というワードが日本のTwitterでトレンド入りするなどの騒動に発展。
さらには、早川書房が刊行する百合SFアンソロジー『アステリズムに花束を』(ハヤカワ文庫JA)に収録されるなど、異例の展開を巻き起こしました。
今回、『月と怪物』の作者である「ナムボク」こと南木義隆さんにインタビュー。その謎めいた実像に迫ります。また『アステリズムに花束を』の担当編集者である、早川書房の溝口力丸さんにも同席していただきました。
『月と怪物』が収録されるまで

── まず率直に『月と怪物』が大きな反響を呼んだとき、どのように感じられましたか?
南木:最初はただただうれしかったんですが、瞬間最大風速の圧に自分の神経が負けて、翌日からちょっと熱を出して寝込みました。それで暫くTwitterも遮断して。あまり褒められたり注目されたことない人生を送ってきたので……。
── 同作は最終的に百合文芸小説コンテストとは直接関わりのなかった、早川書房が刊行する百合SFアンソロジー『アステリズムに花束を』に収録されることになります。収録までの経緯を順に伺っていこうと思いますが、まず早川書房や『S-Fマガジン』(※)のことは、以前からよくご存じだったのですか?
── 「自分はあのバス(百合特集号)に乗り遅れた」と?
── はい。
南木:2013年に開催された“第1回ハヤカワSFコンテスト”に応募したことがあって、第1次選考は通ったんですよ。
その第1次選考後のタイミングに開催された日本SF大会に行ったら、『S-Fマガジン』の塩澤快浩編集長が登壇するトークイベントがあったんです。そのとき僕は観客席にいたんですけど、塩澤さんが「この中で、SFコンテストに応募された方はいらっしゃいますか?」と質問したんですよね。僕を含めて、何人かの観客が手を挙げました。でも次に塩澤さんが「では、1次に残った方は?」とおっしゃったとき、手を上げていたのは僕だけだったんです。
いい気になって手を挙げている僕に、塩澤さんは「あと1週間くらいしたら、最終結果が行くからよろしくね」とおっしゃったんです。僕はこれはきっと「これからよろしくね」という意味に違いない! と。あのときは、「伊藤計劃の次は俺が継ぐ!」くらいのテンションでしたね。
── 「俺が『伊藤計劃以後』だ!」と。でも、蓋を開けてみれば……。
南木:あっさり落ちていました(笑)。
作品は百合であるのは前提として、3部構成になっていて、第1部は日清日露戦争が終わったあとの長崎が舞台。第2部が現代の日本で、第3部はスペースオペラになるという構成でした。けっこうめちゃくちゃな内容で、編集部から送られてきた講評には、「第3部のスペースオペラは、作品をSFっぽくするために取ってつけた感がある」と書かれていて、見事に図星を突かれて驚きました。
── その後、ハヤカワSFコンテストには応募しなかったのですか?
南木:その後は、東京に出てきたりとか、いろいろと私生活が上手くいかなくて……まぁ、ふてくされちゃったんですね。
それで今回は一念発起して、『月と怪物』がバズってすぐ、溝口さんに営業DMを送ったんですよ。「当社は今百合企画を通しやすくなっているので何かあればDMでご相談下さい」とツイートされていたのを受けて。もちろん当時はアンソロジーの情報なんて知らなかったので、「こういうのやってるからよろしく!」的な自己紹介というか(笑)。すると「ハヤカワSFコンテストに原稿をお送りください」とすげない返事が来て……(笑)。
溝口:それは南木さんのことを思ってですよ(笑)。作品がバズったから、じゃあ作品だけ拾い上げて、うちで載せましょう……ではダメだと思うんですよ。南木さんには、ちゃんと作家として評価されてデビューしてほしい。それには、新人賞をとってもらうのが一番です。だからハヤカワSFコンテストへの応募を勧めました。
しかし、それはそれとして『月と怪物』という作品は評価されるべきだと思いました。当時、百合特集や百合姫ノベルスから出た作品の文庫化等を通じて、一迅社さんと交流があったので、「もし『百合姫』が『月と怪物』を掲載しないようなら、うちで引き取ってもいいですか」という連絡を入れました。
当時、弊社で百合SFアンソロジーを刊行することは決まっていたので、そこに『月と怪物』を隠し玉的に収録できると面白いな、とは南木さんからDMを頂く以前から構想としてありました。
南木:……という裏事情を、あとで溝口さんからお聞きしました。
溝口:その後、収録の許諾を各所から得て、その段階で南木さんに具体的に提案したら前向きな気持ちであるとのことでしたので、最初に顔合わせも兼ねて弊社で打ち合わせをして、すぐに改稿作業に移って頂きました。
持てるすべてをぶつけた改稿
── まず、どのように改稿していったのでしょうか?
南木:冲方丁さんが『マルドゥック・スクランブル』の新版を出す際、元版を写経するように一からタイピングして文章を書き直した、と語っておられたので、それを参考に印刷して頭から、改めて新作を書くようなイメージで直しました。読者として読んでいた小川一水さんや宮澤伊織さんと同じ紙面に載るというのはいい緊張感になりました。
── 編集側としてのディレクションのようなものはあったのでしょうか?
溝口:私の方ではまず、南木さんが作品をどういう方向に持っていきたいかを尋ねました。たくさんの読者さんから感想が来て、それを受けてどう思ったか。どう直したいか。
── 主人公の名前がロシア語として正しい表現になったりしていますね。
溝口:主人公の名前「セールイ」は、ロシア語の女性名としては不自然です。南木さんが悩んで、私に相談してきたポイントのひとつがここですね。女性名に直すか、それともあえてそのままにして、この名前の理由を作中で描くべきだろう、と答えました。
南木:最終的に、そこはロシア・東欧研究者である木村英明先生にお力添えをお願いしました。東京創元社の『東欧SF傑作集』でも2作ほど翻訳を担当された方です。木村先生は僕が通った大学でも非常勤で教えられていまして、その縁で。
── 主人公の名前の由来についても、ハヤカワ版で追加されていますよね。詩が好きだった父親が、灰色にちなんで付けた名前だと。
南木:それは元からあった設定なんですが、伏せていたんですよね。遊び心的な。でも、商業媒体で活字になるからには、既知の読者にも新しい読者にも、作品の持てるすべてをぶつけないと無礼だと考えて加筆しました。
ほかにも、あえて由来や意味を伏せている要素があったのですが、それらについてもハヤカワ版では詳(つまび)らかにしています。
── 改稿のときには、ほかにもいろいろな苦労、試行錯誤があったと思います。
南木:改稿では、短編であるということもあって、以前に通っていた津原泰水(※)先生の講座で学んだことが生かされた場面が多いです。
具体的、技術的なものとしては重ねて「とにかく無駄な描写を省く」、「描写の書き足しは愚の骨頂、書き足すなら物語そのもの」と語られていた点であったり。抽象的ながら念頭に置いていたのは、津原先生が「物語の止めどころ」について最良の参考例として語られた、人形作家の四谷シモンさんが「どのタイミングで人形を完成とするのか」という質問に「その人形がさみしそうに見えたら」と返した、であったり。
結果的には物語の根幹や設定についてはかなり細かく加筆したにも関わらず、文庫換算で1ページ分、原稿が短くなっていました。
※小説家。代表作に『ブラバン』(新潮社)、『バレエ・メカニック』(早川書房)など。短編集『11 eleven』(河出書房新社)収録の『五色の舟』は2014年SFマガジンオールタイムベスト国内短編部門で一位。2015年に行われた同講座は東京創元社より書籍化予定(発売日未定)
「怪物」は国家?

── タイトルの変遷についても教えてください。初稿(pixiv版)は『月と怪物』、それが同人誌版では『灰と怪物』に変わり、最終的にハヤカワ版で『月と怪物』に戻っています。ここにはどんな意図が?
南木:それは……大した理由はなく、『月と怪物』というタイトルが、どうも収まりが良すぎて、気恥ずかしかったからです。なので、一度『灰と怪物』に変えたんです。ポーランド文学の古典に『灰とダイヤモンド』という作品があるんで、それにちなんで付けた……ということにすれば、少しは恥ずかしさも薄れるかな、と思ったんですね。
── タイトルにある「怪物」は、国家の比喩ですよね。これをタイトルに入れるのは最初から決めていたのですか?
※村上春樹氏が2009年にエルサレム賞(社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞)を受賞した際のスピーチ。スピーチの中で、村上氏は、大きな社会的システムを「壁」、非武装の市民を「卵」にたとえ、「壁」が正しく「卵」が間違っていたとしても、自分は「卵」の側に立ちたいと述べた。
── 南木さんは、ほかの作品でも国家の暴力性に対する不信感、屈折した思いをテーマにされることが多いですよね。合同同人誌『耽溺の緋き楼獄』に寄稿された『猫の午睡』でも、最初のほうで国家の戦争を怪物と呼んでいます。また、pixivにアップされている『歌え、謳えよ、音楽の帝国』も、国家と個人の関係が重要なテーマですよね。
南木:自分があまりにも共同体になじめなかった人生なので……(笑)。
── 根幹の質問ですが、なぜ数ある国家や歴史のなかで、ソビエト連邦を主題に選んだのでしょうか?
南木:僕は1991年生まれなんですが、これは勿論ソ連崩壊の年ですよね。自分が生を受けたのと前後して大国が世界から消えてしまった……まずそのダイナミズムに惹かれました。それと、具体的にある一本の映画がインスピレーションとしてありました。
── その映画とは?
南木:『リリア4-ever』というスウェーデン映画で、日本ではケーブルテレビのチャンネルで一度放映されたきりでソフト化もされていませんが、ヨーロッパでは高い評価を受けています。僕は18歳くらいのとき、たまたまその映画を見て強い衝撃を受けました。
── どのような内容の作品なのでしょうか?
南木:チャイルドアビューズ(児童虐待)がテーマの作品です。主人公のリリアという少女は、旧ソ連の東欧、エストニアに暮らしているのですが、母や叔母に捨てられ、更に恋した青年は女衒で、騙されて人身売買でスウェーデンに売られることになります。
作中でその青年が「この国はクソだ、スウェーデンに行けばなんとかなる。あの国は楽園なんだ」と言うんです。もちろん彼は騙す側なので、楽園の実態を理解している。それを見て、10代の僕はある種の既視感を覚えました。日本ではスウェーデンは福祉国家として名高いですよね?
── はい。北欧全体が福祉について先進的であるとよく語られます。
南木:それはもちろん正しい。統計を見れば理解できます。しかし個人的には、その映画の中で告発される悪の方にこそ実感がありました。
執筆当時、大阪に住んでいた僕の周囲、バイト先や、近くのお店には、諸外国から来た技能実習生がどんどん増えていっていました。彼らと話すと、「日本にくれば良い暮らしができるから」「良くなっていくと思う」と言うんですよね。でも、日本に来た彼らは、高校も満足に行っていない僕より重労働で賃金も安く、偉そうな人間にあごで使われる。
「リリア4-ever」に話を戻すと、主人公のリリアに唯一寄り添える存在として第二次性徴を迎える以前の幼い少年が登場します。あまりに周到かつ醜悪なものに対抗する唯一のイノセントとして。その構造を百合で展開させられないか、と思いついた記憶があります。ソ連の反同性愛的=差別的な価値観も含めて。
── ここまで聞く限りでは、極めてポリティカルな動機があったということでしょうか?
南木:動機というよりは、例えば僕はMr.children、スピッツ、THE YELLOW MONKEYなど90年代に世に出たバンドに思い入れがあるのですが、ミスチルは98年にフランスの核実験を皮肉った曲をシングルカットしたり、スピッツにも95年のアルバムのリードトラックにソ連崩壊を思わせるリリックがあるし、イエモンの『JAM』なんか有名も有名なフレーズがありますよね。同世代的には、イラク戦争後に出た宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』であったり。ヒットソングでポリティカルなものを扱えるのだから百合小説でも当然、くらいの感覚で。
── あくまで自然なものということですね。
南木:はい。先日、ブログ「マフスのはてな」運営者の岡俊彦さんが、渋谷の映画館ユーロライブにて自主映画祭サムフリークスVol.4として上映され、10年以上ぶりに見返す機会がありました。劇中、旧ソビエトが残した建造物が圧倒されるような廃墟として、あるいは天使の羽根がイノセントの象徴のように登場します。それらの審美的魅力を文章で書いてみたい、という素直な欲求を思い出しました。
あ、あとこの件について、『百合姫』さんに質問してみたいことがあるんですが、いいでしょうか。
── どのような質問でしょうか。
── ではこのインタビューを見られたらぜひご連絡を。映画と言えばご自身のブログに投稿された記事を見ると、エドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』をご覧になったと書かれていますね。先ほどのお話にもあったように権威主義体制下における青春譚、少年少女の悲劇に関心がお有りなのでしょうか?
南木:否定し難いです。しかし、そういった物語……センチメントに魅力を感じること自体が、一種の搾取なのではないかという後ろめたさも覚えます。
未成年って、権利を奪われている存在だと思うんです。民主主義選挙には参加できず、あらゆる自己決定の自由も権力によって奪われている。色々な物語の中で、権威や体制に相対する、正反対な存在として少年少女が描かれやすいのは、そういうことなのかと思ったりもします。フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』のように。
地球と月の百合

── 話がやや逸れましたので、『月と怪物』について戻ろうかと思います。改稿によって、ヴァレリ医師の描写なども大きく変わっていますね。ハヤカワ版では、わりとストレートに同性愛に嫌悪感を示すキャラになっています。
南木:彼は差別主義者に転向したというより、「どんな善良な人間でも、尊厳を奪われ追い込まれたら人間として醜悪な部分が勝利する」というイメージです。
── その他の改稿部分の意図も聞いていきたいと思います。SF面についてはどのようにお考えになられましたか? 特に溝口さんは「S-Fマガジン」の編集者ということで色々な基準があるだろうとお見受けします。
溝口:全体的な方針としては「作品の解釈をひとつに絞らせないように」というのはありましたね。
南木:そもそもの話として、「この作品はSFなのか、そうじゃないのか」という解釈の問題があったりします。塩澤編集長からも、「これはSFってことでいいの?」と言われたりしましたね。大森望さんは書評で「歴史改変SF」と扱っておられました。
溝口:この作品は超能力を題材にしていますが、作中で起こる不思議な現象が本当に超能力なのか、それとも本人たちの思い込みなのか、読者には判断できない形になっています。
科学的に説明をつけて、SFにしてしまう方法もあったのですが、今回はあえて不明にして突っ走った感じですね。読者さんの反応はさまざまで、「SFだ」という人もいれば、「SFじゃない」という人もいます。
南木:作中で起こっていることは、本当のことか嘘なのか分からない。書いている自分も分からない、という感じにしました。イマジネーションを放り投げただけというか。僕はSFの中でも特にニューウェーブSF(※)が好きなので。
ただ資料を読んでいると、宇宙開発で行われた突飛な実験を描けば、無条件にSFになるのでは、という気持ちはありましたね。実験している本人たちが、オカルトみたいなことを本気で信奉していたり。ロシアのヴィクトル・ペレーヴィンという作家に『宇宙飛行士オモン・ラー』という作品があるのですが、これは宇宙実験の滑稽さを描いた名作で、影響も受けました。
※60年代から70年代にかけて勃興したSFジャンル。従来の空想科学小説ではなく、同ジャンルの代表的作家J・G・バラードによる「これからのSFは外宇宙ではなく内宇宙を目指すべきだ」という宣言に代表されるように内省的、実験的、シュールレアリスム的な作風を目指したもの。
── さきほど溝口さんが「作品の解釈を、ひとつに絞らせないようにした」と仰いましたが、ハヤカワ版ではエカチェリーナの台詞にも変更が加えられています。これにより、エカチェリーナが抱いていた同性愛的な感情を、強く明示する形になっています。
溝口:そこは編集側から提案したわけではなく、南木さんから提出された最初の改稿版が、あの形になっていたんです。それが上手いこと物語にハマっていると感じたので、そのまま通しました。
── エカチェリーナの最期の言葉は、ロマンティックですよね。
南木:ユーリイ・ガガーリンの有名な言葉に、「地球は青かった」というのがありますよね。あれを受けた台詞です。あの言葉は実は人口に膾炙しているものは結構な誤訳なんですが、そこは詩情溢れる誤訳に乗っからせて貰いました。本作では、地球を象徴する色は青、月を象徴するのが灰色という構図になっています。そういう意味で、月と地球のカップリングを描いた作品なんです。地球が月に片思いしているという構造を意識して書きました。
── エカチェリーナのキャラはぐっと魅力的になりました。
南木:とはいっても、彼女も、あまり良いやつではないですよね(笑)。軍人の立場を利用して、ミドル・ティーンの女の子に手を出しているわけですから、むしろかなり悪いやつです。
── 主人公たちから見れば権力者であるエカチェリーナも、国家という大きな枠組みの中では末端に過ぎず、犠牲者という立場でもありますよね。
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