「雑食はこだわりの名店には入れない?」そんな不自由さより自由を謳歌せよ/カレー沢薫の創作相談

雑食はこだわりの名店には入れないのでしょうか
あまりに才能が爆発しすぎた相談文につい5回ぐらい読んでしまいました。
「3人で仲良くするときにも棒が2本なのか穴が2つなのかそれとも棒も穴も2つずつ使うのかと」の部分など「さて左右を固定しない場合、たかし君は最大何回穴を使われるでしょうか」という算数の問題として出てきても何ら不思議ではありませんし、私はまだ解けてません。
相談の趣旨としては「雑食だけど固定カプの人と仲良くしたりコミュニティに入ったりしたい」という感じでしょうか。
もし「雑食だけど固定カプの人の作品も読みたい」だったら「こっそり読め」という話になってしまいます。
pixivも「拙者男女カプ流精神的女攻め逆転なし派の者! 手合わせ願おう!」と流派を名乗らないとアクセスできないというわけでもないので、バーリトゥードの人が琉球王国の時代から続く空手作品を読めないということはないと思います。
ただ、読んだあと「美味!」と感想を送ったりすると、そこから雑食の素性が知られ塩をまかれたりブロックされたりということもなきにしもあらずですが、こっそり食ってこっそり帰るなら不可能でないと思います。
もしかしたら、あなたがそのあまりの雑食ぶりに「ナマズのお竜」のような異名を持ち、商品どころか店主の夕飯まで食ってしまうため、あなたがアクセスしてきた瞬間警報が鳴り、瞬時に「閉店」の札がかかってしまうのかもしれませんが、多分そんなことはないでしょう。
「フォロー限定」など、閲覧者を制限している作品も確かにあります。
古代遺跡個人HP時代には「パスワード制」というのもあり、管理人に直接メールを送り、いかにこのカプが好きであなたのドスケベイラストが見たいかを熱弁してパスワードを入手したものです。
ぜひ見たいっすとフォロー申請をしても、そこでプロフをチェックされ「うちは雑食の人はお断りなんだよ」と許可されないということは確かにありそうですし、そもそも固定カプの人のみ申請してくれと書かれていることもあるかもしれません。
つまり、雑食だけど表に出されているメニューだけではなく、こだわりの名店のさらにこだわりの客だけが食える裏メニューも食ってみたいし、食おうとしたら「雑食はこれでも食ってろ」と一度使っただけで賞味期限が切れた謎調味料をぶっかけられ門前払いをされるのは腑に落ちない、ということでしょうか。
しかし、強固な固定カプ派の人を「こだわり名店店主」と見てしまうことが、「雑食地雷ナシの地雷持ち」に対する不理解なのかもしれません。
私は他人のサクセスで体調を崩す
「地雷は偏食ではなくアレルギー」という言葉もある通り、固定カプの人からすれば逆カプというのは単純に「嫌い」「見れない」だけではなく、うっかり見ると心身に深刻なダメージを受ける場合もあるのです。
ちなみに私は「他人のサクセス」が地雷であり、朝イチTwitterで他人の作品がアニメ化決定しただの100万部突破しただののニュースを見ただけで、その日は一日気分が落ち込み、ひどいときは次の日起きた瞬間「そういえばあれがアニメ化したんだった」と思い出して気分が沈みます。
もちろん、その作品が嫌いなわけではなく、作者とは面識すらない場合がほとんどなのですが、他人のサクセス成分を含んでいるだけで私は体調を崩すのです。
地雷持ちでない人には、この苦しみは理解できないでしょうし、地雷物質を回避するために「アニメ化」や「重版」をワードミュート、時には作品名や作家名をミュートしていると聞けば「やりすぎだし気にしすぎ」と思うでしょう。
そして、そんなことで苦しんでいることに対し「心狭すぎ」「見苦しい」と言う人もたまにいますし、自分でも己の心の狭さに絶望します。
つまり、地雷持ちの人は地雷によるダメージだけではなく、時にそんな自分に対する自己嫌悪、さらにそんな体質に対する周囲の不理解に苦しんでいたりするのです。
こだわりの店主は「ガスマスク&全身防護服」なのかもしれない
そういう人たちは間違って地雷に触れて体調を崩さないよう細心の注意を払って生きており、あらゆる地雷ワードをミュートし、本人の発言やRTやいいねで逆カプが表示される危険性があるため、逆カプの人は当然としてリバや雑食の人でさえ、フォロバしたり深くつきあったりは不用意にできないと言います。
そのうえ、Twitterなどは謎アルゴリズムにより「あなたにおすすめ」と言って逆カプを表示するので全く油断ができないそうです。
つまり、蕎麦を食ったあなたを一瞬店に入れてしまったために、手を洗おうと捻った蛇口から突然蕎麦湯が出てきて両手が三倍に膨れ上がる可能性が生まれるので、一瞬たりとも固定カプ以外の人とは関われないという人も多分いるのだと思います。
あなたから見れば「一見お断り黒Tバンダナ腕組みこだわり店主」は「ガスマスク&全身防護服」の人であり、それを脱いだら死ぬし、すでにあなたの口から漂う蕎麦臭で全身が水玉模様になっているかもしれないのです。
そもそも、強固に入店を制限するのは、過去にそれで死にかけたか、すごく嫌な目にあったという経験があるからかもしれません。
雑食ゆえの不自由さではなく自由を謳歌する
人は生まれながらに、それぞれの不自由さと生きづらさを抱えています。
強度の地雷持ちの人は、いつ地雷を踏んで爆死するかわからないという不自由さ、閲覧制限や長文プロフで自衛すれば「いいじゃん見せろよケチ」「めんどくさそうな奴」「固定カプ過激派くわばらくわばら」などと言われる生きづらさを持っています。
だからと言って、雑食無地雷の人が何の悩みも不自由もなく生きているわけではありません。まさに「雑食ゆえに入れない場所もある」という不自由さを抱えていますし「これだから雑食無地雷は無神経」「食えるものがいっぱいあるくせに限定品まで食おうとするなんて贅沢」などと、不自由さを理解してもらえないという生きづらさもあると思います。
不自由さ生きづらさは当事者しかわからないものです。無地雷のあなたにこの腐敗した地雷原に落とされたゴッズチャイルドの苦悩を真に理解することは不可能であり、ドーベルマンが放し飼いされている固く閉ざされた門を前に「なんでここまでするんや、暴れる気はないんやからええやんけ」と思うこともあるでしょう。
ですが、理解できなくても「俺も今ドーベルマンに喉笛をかき切られて大変だけど、あんたもこの中で大変なんだな」と相手を思いやる気持ちを持ち「じゃあ、あそこの原作にオリキャラを10人ぶっこんだ創作料理店が開いてるみたいだし入ってみるか」と、雑食ゆえの不自由さではなく、自由さの方を謳歌してもらえればと思います。

カレー沢さん、こんにちは。
目に映るものすべて食うタイプのオタクをしています。
ここで言うすべてとは、その場に3人いたら6通りの組み合わせに手を出し、なんなら3人で仲良くするときにも棒が2本なのか穴が2つなのかそれとも棒も穴も2つずつ使うのかと悶々とすることを指します。
最近の悩みは色々なものが好きすぎてこだわり専門店に入れないことです。今日はうどんの気分だと思ってこだわりのうどん専門店に行ったら店主が俺は蕎麦アレルギーだからさっき蕎麦を食ったやつは入るなと追い出されるのです。
ここで扉をドンドンして入れろと叫べばその店が閉めてしまうかもしれないので今は裏路地の換気口から香るうどん出汁の匂いを嗅いで帰っています。
うどんと蕎麦どころかカレーもラーメンも焼肉定食もあるファミレスを営む自分は天才だし自分の店の味が最高と思いますが、それはそれとしてうどんのコシのこだわりを語り合ったり蕎麦に山椒かけて通好みを楽しみたいと思うときもあるのです。
人間は毎食食べるものが違うのに、同じ生きる糧である創作はずっと同じものを食べている人だけ歓迎されている気がしてもやもやしています。
分かりづらい例えで申し訳ありませんが雑食はなぜ同じものを愛しているのに固定に受け入れられないのかと言う悩みです。
別にうどん釜にカレー粉を放り込むつもりはなく「よう大将! 美味かったぜ!」と爽やかに伝票を掲げたいのですが、やはり難しいでしょうか。