いつも見てくれていた人がジャンルを去った。でも「描く理由は何だって良い」/カレー沢薫の創作相談

文/カレー沢 薫
創作意欲の源である人がジャンルを去った
こんにちは。私はよく二次創作の絵を描いているのですが、最近筆が乗らずスランプ気味です。実は原因の心当たりがありまして、創作意欲が特定の一人に向いてしまったのです。
以前私の創作を褒めて下さった方(Aさんとします)がいて、それが創作の原動力になっていました。その時はそれで良かったのですが、ある日Aさんが「原作の展開に嫌気が差した」とジャンルから距離を置かれてしまいました。
以来そのジャンルの絵を描くたびに心のどこかで「Aさんにも見て欲しかったな」ということを考えてしまい、何枚描いても気持ちが満たされないのです。
このままではずっと楽しく絵を描けないままですし、何より去った人をいつまでも追い続けるのはAさんにとっても失礼です。私のエゴなのは重々承知ですが、解決策が思い浮かびません。どうすればAさん一人に向いてしまった創作意欲を軌道修正して、また楽しく絵を描くことができるのでしょうか。
この悩みを見た多くの人が、不健全で病んでいる、創作は自分のために行い、そして見せるなら特定の個人ではなく、もっと多くの人に向けて発信するべきだ、と思ったかもしれません。
ですがその理屈で行くと、自分のためならpixivとかに載せている時点でおかしいのです。
本当に自分のために描くならヘンリー・ダーガーのように誰にも見せない長編小説を15,154ページ書いて死ぬのが正しく、たかが一人の顔色を伺って描くのが不健全というなら、母親に褒められたくて絵を描いた幼児に「もっと大勢に向けて描け」と猛ビンタをかまさなければいけません。
世間的に見ても、自分より他人のために行動できる人間の方が偉い、そしてスマホにかじりつき顔も名前も知らない大勢の他人の関心を惹こうとするより、たった一人でも本当に大切な人とのつながりを大事にしろ、という考えの方が主流だと思われます。
そうだとしたら、自己満足で書いたものをわざわざネットなどに晒し、どこの馬の骨ともしれぬ奴らが股間をかいた手で押したかもしれない「いいね」やブクマの数に一喜一憂し、多くの人に見てもらえない、感想がもらえないという理由でやる気を失っている方がよほど不健全でただれています。
それに比べれば、最初から特定の誰かにために描き、その人の関心を得られなくなったからやる気を失ったという方が同じ病(ビョウ)だとしてもシンプルであり、まずピルケースを買ってくるところから始めなければいけない前者に比べて薬は一種類ですみそうです。
描く理由は何だって良いはず
そもそも何のため、誰のために、以前に二次創作という行動自体が、やらない、見ない人にとってはかなり不可解らしいのです。
確かに原作というこれ以上ない完成品が目の前にあるのに、どれだけ上手くても本物より優れたものにはならない時に恐ろしく稚拙な自分の絵や文で、わざわざ描きなおす必要があるのか。人によってはエロ本をそのまま使わず、自分で模写してから使っている人間を見たかのような恐怖を覚える行為なのかもしれません。
しかし、何でそんなことをするのかと言われたら、自分にもわからん、という人が多いのではないでしょうか。
河川敷や便所の壁に、性行為を表すアルファベットや性器を示す象形文字が書かれているのを見たことがある人も多いと思いますが、アレに何の意味があるのでしょうか。
「描けば出る」と言ってガチャを回す前に出したいキャラの絵を描くように「描けばヤれる」という願掛けなのでしょうか。
おそらく、描くことで魔法陣から性器を召喚しようとしているわけではなく、怒りを物にぶつけてしまう人がいるように、何かに対する抑えられない気持ちを「描く」という行為にぶつけてしまうタイプが一定数おり、我々も推しに対する強い感情のやり場として「とりあえず描こう!」となっているのだと思います。
そういうタイプでない人からすれば何が「とりあえず」なのかさっぱりわからないと思いますが、何せただの衝動なので意味も理由も特にありません。
意味も理由もない、ということは「描く理由は何だって良い」のです。
よって「特定の人を喜ばすために描いていた」という姿勢自体が間違いだったわけではないですし、「あんたのために描いていたんだから見ろよ」と掴みかからない限りはAさんに対して申し訳なく思う必要はないと思います。
ただ問題は、現在Aさんという描く理由を失って描く気になれない、という点だと思います。
慣れるか、出ていくか
この問題は趣味という孤独で自由で救われていなければいけない世界に、他人という自分ではコントロールできない存在を入れてしまったせいと思います。
井之頭五郎だって向いに他人が座っていれば、あんなに傍若無人な注文はできず「豚をかぶらせてはいけない」など色々気を使ってしまい、少なくとも自由ではなかったと思います。
つまり、あなたの創作はずっと向いにAさんが座っている食卓みたいなもので、Aさんのよろこぶ顔が見たくてその店(ジャンル)でAさんの好きそうな料理(創作)を並べていたのだと思います。
そしてAさんが店に腹が立つことがあり「二度とこねえ!」と店を出ていって一人になってしまったいま、前のようにその店での食事が楽しめなくなってしまったのでしょう。
Aさんのよろこぶ顔込みでその店(ジャンル)での食事(創作活動)が楽しいと思っていた以上、Aさんなしで、もうその店を前ほど楽しむことはできないかもしれません。
よって、Aさんがいない食卓に慣れるまで待つ、もしくは一人で入って一人で食事を楽しめる別の店(ジャンル)を探して見ても良いのではないでしょうか。
原作は「大自然」で今回の件は災害
そもそも二次創作というのは、どれだけ他人を意識せず、孤独で自由で救われようとしても「原作」という、もっとも自分の力ではどうにもならないものを相手にした趣味であり、もはや海とか山とか大自然を相手にしたスポーツといっても過言ではありません。
Aさんがジャンルを離れたのも原作と言う名の大自然が起こした「許せない展開」という災害にあったからですし、あなたはその二次災害に巻き込まれたようなものです。
大自然や災害に無理に立ち向かっても勝ち目はありません。いまは「描く気がしない」という雨が止むまで待つ時期ではないでしょうか。
このまま描けなくなるのでは、と思うかもしれませんが「最近アツくなれるジャンルもないし、このまま卒業かな?」とか言っていたオタクがアラフォーで新しいジャンルにドハマりして同人デビューまでする、みたいな現象を何度も見てきたので「オタクの雨はどれだけ雨乞いしても何故か止む」と思って気長に待ちましょう。
ただ雨が止むのを待つだけではなく「晴れるまで部屋でニンテンドースイッチをやる」のように、天候に左右されやすい二次創作というアウトドアスポーツの他にもう一つ、常にひとりで淡々とできるインドアな趣味を見つけてはどうでしょうか。

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