いいものだけでも、ウケるものだけでもダメ。ポケモンのおもしろさの本質に迫る『ポケモンストーリー』 〜レジェンド本を学ぶ〜

文:いしじまえいわ
「レジェンド本を学ぶ」は、イラスト、アニメ、漫画、映像などの分野のレジェンドクリエイターの著書から作品や表現について学ぶことで、もっと作品を愛し創作を楽しんでいただくための企画です。
連載5回目となる今回は、畠山けんじ氏と久保雅一氏による『ポケモンストーリー』(2000年)を紹介します。
連載5回目となる今回は、畠山けんじ氏と久保雅一氏による『ポケモンストーリー』(2000年)を紹介します。
2016年8月現在、スマホアプリ『ポケモンGO』が世界中で大ヒットしていますが、ポケモンの歴史のはじまり、ゲームボーイ専用ソフト『ポケットモンスター赤』『ポケットモンスター 緑』が登場したのは1996年、もう20年も前のことです。
昨今の『ポケモンGO』大ヒットにいたるまで、日本だけでなく世界中で人気を博してきたポケモン。その人気の秘密を本書から探っていきたいと思います。
昨今の『ポケモンGO』大ヒットにいたるまで、日本だけでなく世界中で人気を博してきたポケモン。その人気の秘密を本書から探っていきたいと思います。
クリエイターが読むべきビジネス書

▲ 畠山けんじ・久保雅一『ポケモンストーリー』(日経BP社、2000年)
本書はこれまでこの企画で取り扱ってきた、アニメ監督や漫画家による表現の技術や考え方について書かれたものではなく、ビジネスとしてのポケモンの成功の軌跡をインタビュー形式で追った、いわゆるビジネス書です。しかも、厚さ4センチ、ページ数540ページ以上にもなる超大作。
こう聞くと、「ビジネス書って堅苦しそう」「難しいことばっかり書いていそう」と思ってしまいがちですが、本書はポケモンを題材にした本だけあって、「親子で読めるビジネス書」をコンセプトに、とても読みやすく書かれています。
また、本書に書かれているゲーム企画の基本コンセプトの定め方、アニメや映画、グッズがヒットしていった過程には、クリエイティブな要素がたくさん含まれています。
だからこそ、「魅力的なキャラクターや世界観を作りたい」「ポケモンのような長年愛されるゲームがどうやって作られたのか知りたい」というクリエイターや、「キャラクタービジネスについて学びたい」というビジネスマンにおすすめできる一冊です。
また本書は上下二段構成になっており、上段に本文、下段には図説や解説、おもしろネタなどが記載されています。これも本書を読みやすくしている工夫のひとつです。
たとえば、上段でポケモンの開発者である田尻智さんについて言及したページでは、下段は田尻智さんの人柄の紹介と、テレビアニメ版ポケモンの主人公、サトシの名前の由来が彼であるという小ネタが書かれています。
こう聞くと、「ビジネス書って堅苦しそう」「難しいことばっかり書いていそう」と思ってしまいがちですが、本書はポケモンを題材にした本だけあって、「親子で読めるビジネス書」をコンセプトに、とても読みやすく書かれています。
また、本書に書かれているゲーム企画の基本コンセプトの定め方、アニメや映画、グッズがヒットしていった過程には、クリエイティブな要素がたくさん含まれています。
だからこそ、「魅力的なキャラクターや世界観を作りたい」「ポケモンのような長年愛されるゲームがどうやって作られたのか知りたい」というクリエイターや、「キャラクタービジネスについて学びたい」というビジネスマンにおすすめできる一冊です。
また本書は上下二段構成になっており、上段に本文、下段には図説や解説、おもしろネタなどが記載されています。これも本書を読みやすくしている工夫のひとつです。
たとえば、上段でポケモンの開発者である田尻智さんについて言及したページでは、下段は田尻智さんの人柄の紹介と、テレビアニメ版ポケモンの主人公、サトシの名前の由来が彼であるという小ネタが書かれています。

▲ 畠山けんじ・久保雅一『ポケモンストーリー』(日経BP社、2000年)p.17
本書が刊行されたのは2000年と、ポケモン登場からたった4年後の時点ですが、その4年間にポケモンはゲームの大ヒットに始まり、グッズ化やアニメ化、映画化に海外でのヒットと、めざましい発展を遂げていました。
今回は、ポケモン誕生前史から海外展開に至るまで、その世界的大ヒットの背景を追った本書の内容を
1. 基本コンセプトへの強いこだわり
2. メディア展開とあくなきマーケティング調査
という2つの点に着目して紹介したいと思います。
今回は、ポケモン誕生前史から海外展開に至るまで、その世界的大ヒットの背景を追った本書の内容を
1. 基本コンセプトへの強いこだわり
2. メディア展開とあくなきマーケティング調査
という2つの点に着目して紹介したいと思います。
基本コンセプトへの強いこだわり
まず、ポケモンの大ヒットの背景にあったのは、基本コンセプトへの徹底的なこだわりです。
本書には、ポケモンの基本コンセプトは「目に見える情報と価値の交換」だと書かれています。これは具体的に、どんな部分に反映されているのでしょうか。
ポケモンの歴史を振り返ると、そのはじまりは、1996年2月にゲームボーイソフト『ポケットモンスター 赤』『ポケットモンスター 緑』の発売です。
当時ゲームボーイには、通信ケーブルを介することでデータのやり取りができる機能があり、当時は主にゲームの対戦のために使われていました。
本書には、ポケモンの基本コンセプトは「目に見える情報と価値の交換」だと書かれています。これは具体的に、どんな部分に反映されているのでしょうか。
ポケモンの歴史を振り返ると、そのはじまりは、1996年2月にゲームボーイソフト『ポケットモンスター 赤』『ポケットモンスター 緑』の発売です。
当時ゲームボーイには、通信ケーブルを介することでデータのやり取りができる機能があり、当時は主にゲームの対戦のために使われていました。

▲ 畠山けんじ・久保雅一『ポケモンストーリー』(日経BP社、2000年)p.41
ただ、ポケモンの開発者である田尻智氏は、このことに違和感を感じていたそうです。
ゲームボーイの発売の直後に、この商品はこんな特徴で通信機能がついていて2台がつながるんだ……といった情報が入ってきたんです。そのため、イメージが先に勝手にふくらんじゃったんですね。実際に手にとって遊んでみると、想像していたのとイメージがずいぶん違う。(中略)通信ケーブルも使うんですが、利用法はおもに対戦データをやり取りするためでした
『ポケモンストーリー』p.41より引用
田尻氏が通信機能に求めていたのは、単なるデータのやり取りではなく、コミュニケーションツールとしての役割でした。
自分なりにいうと、もう少しまとまりのある情報が行ったり来たりするというか、情報が封筒の中に入っていて、その封筒が行ったり来たりする――。そう、目に見える情報。(中略)つまり、友達同士が向き合い、片方がゲームボーイをケーブルでつなげてみるかいって言ったら、相手もそうだねと言ったときに始まるコミュニケーション、そのツールとしてゲームボーイが働くとしたら、目に見える情報、価値の交換ということになると思ったんです。
『ポケモンストーリー』p.42より引用
この「目に見える情報・価値の交換」ほ基本コンセプトとして始まったのがゲームボーイソフト、初代ポケモンの開発。
コンセプトの実現のために「カプセルに入ったモンスターを交換するゲームにしよう」「それならアクションゲームではなくロールプレイングゲームがいいんじゃないか」と、すこしずつ形になっていったのが初代ポケモンなのです。
コンセプトの実現のために「カプセルに入ったモンスターを交換するゲームにしよう」「それならアクションゲームではなくロールプレイングゲームがいいんじゃないか」と、すこしずつ形になっていったのが初代ポケモンなのです。

▲ 『ポケットモンスター赤』(任天堂、1996年)
「情報・価値の交換」というのは概念的なもので、ゲームの根幹の部分です。一見、ゲームのおもしろさと直結する要素には思えませんが、このコンセプトがあったからこそ、ポケモンは世界中で愛される存在になったのではないでしょうか。
実際、任天堂はこのコンセプトを高く評価し、まだ「カプセルに入ったモンスターを交換するゲーム」ということしか決まっていない段階だったポケモン開発プロジェクトに、数千万円の開発費を投資しています。
任天堂は自社ハードのゲームのクオリティにかなり厳しいハードルを設けている会社です。その任天堂がかなりの厚遇をしたことからも、このコンセプトが当時いかに優れていたのかがわかります。
また、ポケモンが発売されたのは1996年ですが、田尻氏が上記のコンセプトを着想し開発プロジェクトを立ち上げたのは1991年初頭のこと。なんと開発に6年もの歳月を費やしています。
当初は91年内に発売する予定だったものの、開発プロジェクトは難航を重ね、途中で開発自体の中断までもが危ぶまれる状態に陥ったとか。
さらにその間に、ゲームのハードはどんどん進化し、「ニンテンドー64」や「プレイステーション」「セガサターン」など、当時「次世代ゲーム機」と呼ばれた高性能なゲーム機が次々と登場。96年時点ではゲームボーイはすでに”時代遅れ”のゲーム機となっていたんです。
実際、任天堂はこのコンセプトを高く評価し、まだ「カプセルに入ったモンスターを交換するゲーム」ということしか決まっていない段階だったポケモン開発プロジェクトに、数千万円の開発費を投資しています。
任天堂は自社ハードのゲームのクオリティにかなり厳しいハードルを設けている会社です。その任天堂がかなりの厚遇をしたことからも、このコンセプトが当時いかに優れていたのかがわかります。
また、ポケモンが発売されたのは1996年ですが、田尻氏が上記のコンセプトを着想し開発プロジェクトを立ち上げたのは1991年初頭のこと。なんと開発に6年もの歳月を費やしています。
当初は91年内に発売する予定だったものの、開発プロジェクトは難航を重ね、途中で開発自体の中断までもが危ぶまれる状態に陥ったとか。
さらにその間に、ゲームのハードはどんどん進化し、「ニンテンドー64」や「プレイステーション」「セガサターン」など、当時「次世代ゲーム機」と呼ばれた高性能なゲーム機が次々と登場。96年時点ではゲームボーイはすでに”時代遅れ”のゲーム機となっていたんです。
そんななか、ようやく完成した初代ポケモン。任天堂がここまで辛抱強く待ち続けたのは、ポケモンの基本コンセプトである「情報・価値の交換」にそれだけの価値があったからでしょう。基本コンセプトがいかに重要かが伝わるエピソードではないでしょうか。
コンセプトを体現する世界観の組み立て方
実際にゲームを開発するにあたって、田尻氏が最も重視したのは「世界観」でした。ストーリーはゲームクリアとともに終わってしまいますが、ゲームの持つ世界観はゲームをクリアした後でも楽しめると考えたからです。
そこで田尻氏が世界観のモチーフに選んだのが、自身の「少年時代」でした。コンピュータやゲームに出会う前、野山で虫やカエルを捕まえて観察し、友達や家族に見せたり自慢したりしたこと。メンコやビー玉で友達と勝負したり、交換したりしたこと。そんな幼い頃に感じていた日常のすべてをポケモンの世界観としました。
当時の子どもたちには、未知の世界のように思えたことも、田尻氏にとっては実際に「あったこと」や「体験したこと」。
ゲーム中でポケモンを交換する行為は、捕まえた虫、メンコやカードを友だちと交換することの再現。そのときのドキドキ感をゲームのなかでも表現しようとしたわけです。
自分が実際に経験し楽しんだことを再構築し、作品の世界観をつくるーー。だからこそ作品の細かい部分にまでこだわることができるのではないでしょうか。 これはポケモンに限らず、漫画・イラスト・小説などどんなジャンルにおいても応用できる手法と言えそうです。
ちなみに、田尻氏の一番のお気に入りのポケモンはニョロモとニョロゾだとか。
そこで田尻氏が世界観のモチーフに選んだのが、自身の「少年時代」でした。コンピュータやゲームに出会う前、野山で虫やカエルを捕まえて観察し、友達や家族に見せたり自慢したりしたこと。メンコやビー玉で友達と勝負したり、交換したりしたこと。そんな幼い頃に感じていた日常のすべてをポケモンの世界観としました。
当時の子どもたちには、未知の世界のように思えたことも、田尻氏にとっては実際に「あったこと」や「体験したこと」。
ゲーム中でポケモンを交換する行為は、捕まえた虫、メンコやカードを友だちと交換することの再現。そのときのドキドキ感をゲームのなかでも表現しようとしたわけです。
自分が実際に経験し楽しんだことを再構築し、作品の世界観をつくるーー。だからこそ作品の細かい部分にまでこだわることができるのではないでしょうか。 これはポケモンに限らず、漫画・イラスト・小説などどんなジャンルにおいても応用できる手法と言えそうです。
ちなみに、田尻氏の一番のお気に入りのポケモンはニョロモとニョロゾだとか。

▲ 畠山けんじ・久保雅一『ポケモンストーリー』(日経BP社、2000年)p.106
ニョロモやニョロゾのおなかのグルグルは、田尻氏が幼少期に捕まえて観察した、おたまじゃくしの半透明な体から透けて見えた腸を再現したものだそうです。
こんな細かなところにも、幼少期の経験の再構築が活きているんですね。
こんな細かなところにも、幼少期の経験の再構築が活きているんですね。
基本コンセプトを重視して、発売直前に導入した2つの仕様
ソフトの制作が軌道に乗り、完成が見えてきた1995年。実は発売直前の土壇場になって導入された仕様が2つあります。
それは「珍しいポケモンや伝説のポケモンの存在」と「赤・緑2バージョン同時発売」です。
当初、名前を付けて保持できるポケモンの数は記憶容量の都合で30体まで。ただゲームをプレイしクリアする上では問題ないとされていました。しかし、テストプレイをするうちに、田尻氏もスタッフも「150種類もポケモンがいるのに30匹しか持てないのは少なすぎる!」ということに。
名前を付ける機能を外せば120匹までは増やせるものの、ポケモンに愛着をもってもらうためには名前を付ける機能は必須という思いもあり、名前機能は実装したままで、ポケモンの保持数を増やす道を模索することになりました。
結果的には度重なる説得に任天堂側が折れ、最新の記録媒体を導入することにより記憶容量は8倍に。240匹ものポケモンを名前を付けて保持できるようにしたのです。
つまり、全150種類のポケモンをすべて保持することができるようになったということ。そのとき図鑑をコンプリートしていく楽しみを増やそうと導入されたのが、出現率の低い珍しいポケモンや伝説のポケモンの存在でした。
それは「珍しいポケモンや伝説のポケモンの存在」と「赤・緑2バージョン同時発売」です。
当初、名前を付けて保持できるポケモンの数は記憶容量の都合で30体まで。ただゲームをプレイしクリアする上では問題ないとされていました。しかし、テストプレイをするうちに、田尻氏もスタッフも「150種類もポケモンがいるのに30匹しか持てないのは少なすぎる!」ということに。
名前を付ける機能を外せば120匹までは増やせるものの、ポケモンに愛着をもってもらうためには名前を付ける機能は必須という思いもあり、名前機能は実装したままで、ポケモンの保持数を増やす道を模索することになりました。
結果的には度重なる説得に任天堂側が折れ、最新の記録媒体を導入することにより記憶容量は8倍に。240匹ものポケモンを名前を付けて保持できるようにしたのです。
つまり、全150種類のポケモンをすべて保持することができるようになったということ。そのとき図鑑をコンプリートしていく楽しみを増やそうと導入されたのが、出現率の低い珍しいポケモンや伝説のポケモンの存在でした。

▲ 初代ポケモンに登場した伝説のポケモンフリーザー
「赤・緑2バージョン同時発売」は、友達とポケモンを交換する強い動機づけができないか、という発想から生まれたものです。せっかくポケモンを交換する機能があっても、いつかは自分で手に入れられるのであれば、あまり交換に価値があるとは言えません。
そこで、カートリッジ一つひとつにIDを割り当て「違うカートリッジから来たポケモンである」と認識できるようにしました。
そこで、カートリッジ一つひとつにIDを割り当て「違うカートリッジから来たポケモンである」と認識できるようにしました。
里親のように、自分のものを相手に預けることでお互いが得をするという仕組みのアイデアです。たとえば、ポケモンが相手のカートリッジに移動したときに、ちょっと早く育つようになるとか、ちょっと強くなるということになっていれば、交換の動機になるのではないか。そう考えたのです。
『ポケモンストーリー』p.150より引用
ここに任天堂側から「カートリッジ内のIDだけでは分かりにくい」「カートリッジの色や見た目が違えば分かりやすいのでは?」というアドバイスがあり、赤・緑2バージョンの同時発売という形に。
なお、赤と緑という色は、任天堂のゲームの大先輩であるマリオとルイージへのリスペクトから選ばれたそうです。
なお、赤と緑という色は、任天堂のゲームの大先輩であるマリオとルイージへのリスペクトから選ばれたそうです。

▲ 『New スーパーマリオブラザーズ』(任天堂、2006年)
伝説のポケモンの存在も複数バージョン同時発売も、今となってはポケモンというゲームにとってなくてはならない仕様ですが、実は発売ギリギリまでアイデアさえなかったものでした。
ちなみに、この仕様の導入により、発売はさらに1年近く延期することになったそうです。
ただ、どちらの仕様も「ポケモンを集め、友達と交換する面白さ」という基本コンセプトを重視した結果、生まれたもの。
徹底的に基本コンセプトにこだわって作る。これがポケモンの面白さと大ヒットの秘訣のひとつと言っていいでしょう。
ちなみに、この仕様の導入により、発売はさらに1年近く延期することになったそうです。
ただ、どちらの仕様も「ポケモンを集め、友達と交換する面白さ」という基本コンセプトを重視した結果、生まれたもの。
徹底的に基本コンセプトにこだわって作る。これがポケモンの面白さと大ヒットの秘訣のひとつと言っていいでしょう。
余談ですが、現在世界中で人気の『ポケモンGO』、まだ「情報・価値の交換」というコンセプトを体現した機能をひとつも実装していません。
自分の足で歩いて捕まえ、育てたポケモンを、友達と交換できるようになったとしたら……?
「ポケモンGO」が本当に面白いゲームとして完成するのは、その後なのかもしれませんね。
自分の足で歩いて捕まえ、育てたポケモンを、友達と交換できるようになったとしたら……?
「ポケモンGO」が本当に面白いゲームとして完成するのは、その後なのかもしれませんね。